SERIES - 2018.8.1

根実花書簡 連載1:
穂村弘×新津保建秀

ファッションブランド「NEMIKA」による新連載「根実花書簡」の第1回。現代を代表する歌⼈であり、ユーモア溢れるエッセイも⼈気の穂村弘が、気鋭の写真家たちの作品に、ことばを添える。連載第1回は、写真家・新津保建秀が「眼で触れる」をテーマに撮影した写真とコラボレーションする。

穂村弘=文 新津保建秀=写真

 「根実花書簡」は、NEMIKAとウェブ版「美術手帖」による連載企画。東京のいまを切り取る様々な写真家がNEMIKAをイメージして撮影した作品や、日々のなかからインスピレーションを受けて撮り下ろした写真作品をもとに、歌人・穂村弘がエッセイを載せることば×アートの連載です。

 NEMIKAは、大人の女性に寄り添う、ファッションブランド。NEMIKAは「根実花」を意味する。根とは、過去に培ってきた歴史。実とは、現在のその人そのもの 。花とは、未来にむけたその人の表現。

 根をはり、実をつけ、花を咲かせる「根実花」とともにつくる、ことば×アートをテーマにした本連載では、歌人と写真家がそれぞれの表現を往復書簡のように交換して、ここでしか読めないページをつくっていきます。


© Kenshu Shintsubo

犬の話
穂村弘 文

 沖縄の島に行った時のこと。日差しがちがうね、風がちがうね、花の色がちがうね、とうれしく云い合いながら、私と妻は歩いていた。
 「あ、ここだ」
 予約していた宿の入り口にはごつごつした樹があって、その足元に通せんぼするように犬が眠っていた。蜂蜜色の大きな犬だ。私たちは顔を見合わせて、起こさないように、そーっと横をすり抜ける。子供の頃に追いかけられたことがあって、妻は大きな犬がちょっと怖いのだ。
 十分後、チェックインを済ませた私たちは中庭でお茶を飲んでいた。時間が止まったような空気の中に蝶だけがひらひらと飛んでいる。ふと見ると、仔猫がいた。
 「可愛いね」
 「宿の子かな?」
  近づいても逃げる気配がない。嬉しくなって撫でてみる。と、その時、もの凄い勢いで何かが走ってきた。どどどどどー。先ほどの犬だ。驚いて逃げ腰になった我々の目の前でごろんと横になると、「ハッハッハッハッハッ」とお腹を見せている。
 「もしかして」と妻が云った。「撫でて欲しいのかな」
  「うん、仔猫より自分を撫でろって云ってるみたいね」
 なにしろサイズ的には我々とそう変わらない巨大犬である。おっかなびっくり撫で始めると「ハッハッハッハッハッ」。どうやら、喜んでいるらしい。が、少しでも仔猫を撫でようとすると、そちらにごろんと寝返りを打って、俺、俺、俺を撫でてくれろ、とアピール。
 「これくらい捨て身で素直になれたらいいだろうね」と妻が感心したように云った。
 そうだなあ、と思う。自分の気持ちに素直になれなくて後悔したことが私にもあった。
 「でも、なかなか難しいよ、人間には」
 「そうだねえ」
 そんなことを話しながら、二人がかりで巨大犬の腹を撫で回す。一方の仔猫はというと、マイペースで大人しく遊んでいる。犬と猫の差なのか、それとも性格の違いだろうか。やがて、ひとしきり撫でられて満足したらしい犬は立ち上がって去った。
 夕食の時、宿の人に話を振ってみた。
 「ワンちゃん、可愛いですね」
 「大きいくせに甘えん坊ですみません。それに隙あらば、すぐに柵を越えて逃げ出しちゃうんですよ」
 「大変ですね」
 「しばらくすると戻ってくるんだけど」
 「じゃあ、どうして逃げ出すんだろう?」
 「海が大好きで、近くの浜に泳ぎに行っちゃうんですよ」
 へえ、と思った。大きな犬が真っ青な海を泳いでいるところを想像する。太陽の真下で「ハッハッハッハッハッ」。無敵だなあ。

© Kenshu Shintsub
© Kenshu Shintsubo
© Kenshu Shintsubo
© Kenshu Shintsubo
© Kenshu Shintsubo