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REVIEW - 2018.5.21

アメリカ現代美術史から読み解く。
大森俊克が見た、五木田智央「PEEKABOO」展

アメリカのサブカルチャーやアンダーグラウンドに影響を受けたモノクロームの絵画で知られる五木田智央が、DIC 川村記念美術館での展示から4年ぶりとなる大個展を東京オペラシティ アートギャラリーにて開催中。1980年代以降のアメリカ西海岸のアートシーンとの影響関係について、美術批評家の大森俊克が分析する。

文=大森俊克

Untitled 2014-15 ミクストメディア Collection of Anzai Art Office, Inc. © Tomoo Gokita Courtesy of Taka Ishii Gallery Photo by Kenji Takahashi

Untitled 2014-15 ミクストメディア Collection of Anzai Art Office, Inc. © Tomoo Gokita Courtesy of Taka Ishii Gallery Photo by Kenji Takahashi

ヒール(悪役)としての絵画
「五木田智央 PEEKABOO」展
大森俊克 評

 絵画とカウンター・カルチャーの関係史を語るうえで欠かせない動向が、五木田が関心を寄せてきたという、(1980年代以降の)ネオ・エクスプレッショニズムだ。五木田の画業を「発見」したギャラリストのメアリー・ブーンは、1983年にニューヨークでフランシス・ピカビアを包括的に紹介する展覧会を開いている。ロバート・ローゼンブラムはそのカタログの論考で、印刷物から裸婦を写したピカビアのポルノ的な連作だけでなく、前世代の様式や歴史的な絵画作品のイメージをすべて等しく「盗用」する彼の姿勢に、ネオ・エクスプレッショニズムとの共通性を見出した。しかし当時のネオ・エクスプレッショニズムはおおむね、前衛の表層的な焼き直しだとして批判され、返す刀でヨーロッパの戦後絵画もまた批判を受けてきた。例えば美術批評家のマシュー・コリングスは、ジュリアン・シュナーベルのアメリカ然とした絵画を倒錯的に「アメリカ化された欧州芸術」と呼び、ベンジャミン・ブクローは、モダニズムの政治・文化批判を迂回するドイツの一部の画家と、ネオ・エクスプレッショニズムの親縁性を説いた。

Come Play with Me 2018(部分) キャンバスにアクリルガッシュ © Tomoo Gokita Courtesy of Taka Ishii Gallery Photo by Kenji Takahashi

 五木田が「東スポ感」を湛えていると言う新作を含む本展が浮き彫りにしているのは、ピカビアのような批判的盗用(ヨーロッパの「真正」の前衛)とネオ・エクスプレッショニズムの具象性を併せ持つ、タシスムやオカルト世界、ヒッピー文化やSF要素を混交させた、アメリカ西海岸の現代美術との関連だろう(もっとも、五木田はあるインタビューで、同地のカルチャーからの影響を否定しているが)。

 ピカビア的ニヒリズムを昇華させたゲルハルト・リヒターのグレー・ペインティングとの共通性以上に、女性の胸に忽然と現れた幽体のような白い靄、アブジェクシオンとしての抽象、『パルプ・フィクション』的な印刷様式の流用、メキシコのノワール的な稗史など、本展の多くのイメージや展示手法、モノトーンの筆使いや断片化された物語性は、マイク・ケリーやジム・ショー、レイモンド・ペティボンといったロサンゼルスのアーティストによる、モダニズムや概念芸術への抵抗としての絵画表現を思わせる。彼らは時に、戦後日本における欧米文化の影響について、作品内で隠喩的に言及していた(ケリーの作品におけるゴジラの存在や、「暴力温泉芸者」の起用など)。

 五木田は、アメリカ西海岸の「ヘルター・スケルター」的な絵画、マイナー文化を戦略的に採用するそのスタイルとの共通性によって、間接的に、ニューヨークで展開したネオ・エクスプレッショニズムにおける、「文化批判」の可能性を問い直しているとは言えないか。絵画史やポルノ/プロレス雑誌などを等価なアーカイヴとして、そのイメージが有する仮象=光をモンタージュ的に接合する五木田の筆使いは、それ自体が欲望機械の痕跡である。日常に転がる肉体の放埓な悦びと「脱昇華」的なカウンター・カルチャーを縫合させたその絵画群は、ある意味で、ピカビアのマシニスムへの回帰を果たしている。