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2019.7.12

「驚異の目利き」と呼ばれた原三溪の大コレクション。横山大観や尾形光琳による名作も

「コレクター」「茶人」「アーティスト」「パトロン」という4つの側面を持ち、近代日本の美術界において精力的な活動を見せた原三溪。そんな三溪が収集した膨大なコレクションを総覧する展覧会「原三溪の美術 伝説の大コレクション」が、横浜美術館でスタートした。本展は、三溪がコレクション公開のために建設を夢見ていたとされる「幻の美術館」の具現化を試みるもの。その見どころをお届けする。

展示風景
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 横浜において生糸貿易や製糸業で財を成し、近代日本の黎明・発展期に経済界を牽引した原三溪(1868~1939)。いっぽうで「コレクター」「茶人」「アーティスト」「パトロン」という4つの側面を持ち、近代日本における美術界確立の過程と軌を一にしながら活動を展開する文化人でもあった。

 三溪が生涯に購入した美術品は5000点を超え、一連の作品群は没後に分散したものの、日本各地の美術館や博物館、また個人などに受け継がれている。そんな三溪の旧蔵品から、国宝や重要文化財30件以上を含む約150件を紹介する大規模な展覧会「原三溪の美術 伝説の大コレクション」が、横浜美術館で開幕した。本展は、三溪がコレクションの公開のために建設を夢見ていたとされる「幻の美術館」を展覧会として具現化する試みだ。

展示風景
展示風景

 三溪は、自身の収集活動を総括するために所蔵名品選『三溪帖』の刊行を企てていたが、出版を目前に関東大震災で焼失し、未刊のまま終わってしまった。本展では、この『三溪帖』に掲載予定であった作品群が、三溪自筆の草稿や買入覚などの資料群とあわせて展示されている。資料の内容からは、落札する様子や購入資金の工面などがうかがえるのも興味深い。また当時、三溪がどのような視点で作品を価値付け、評論していたか、収集活動の一端を見ることができる。

 本展は5章編成。第1章「プロローグ」では、三溪自身が生涯でもっとも多く描いた「白蓮」シリーズから代表的な2枚が来場者を出迎える。展示されている2枚の「白蓮」は、三溪が寵愛した作家の安田靫彦と、茶の場で親交を深めた松永耳庵(まつなが・じあん)に贈られたもの。三溪は、このように交流の深い数寄者やアーティストに自身の絵を贈呈することを好んでいたという。加えて同章には、岐阜出身の「富太郎」が「三溪」となるまで、そして「三溪」以降の活動や交友関係を示す代表的な作品が集結している。

展示風景より、国宝《孔雀明王像》(平安時代後期 12世紀)
東京国立博物館蔵 展示期間=7月13日〜8月7日

 「コレクター」としての三溪を取り上げる第2章では、《孔雀明王像》、8月9日からは《寝覚物語絵巻》といった国宝が登場し、奈良時代から江戸時代に至る日本と中国の名画を通覧することができる。まさに「驚異の目利き」と呼ばれた三溪の慧眼と歴史観を端的に示すラインナップだ。

 買入覚の記載によると、三溪は1903年に《孔雀明王像》を1万円で購入。当時の1万円がどれほどの価値かどうかは諸説あるものの、破格であることには違いなく、当時35歳で古美術収集家としては新参であった三溪の名を斯界に知らしめる出来事となった。

 またいち早く「琳派」を評価していた三溪は、尾形光琳が多く手がけた団扇もコレクションに追加。三溪の没後、同作は《蕨図》《紅葉流水図》と表裏別々に所蔵されたが、本展では並べた状態で展示される。三溪の没後80年を迎えて、初めて団扇の表裏を同時に見ることができる貴重な機会だ。

展示風景より
展示風景より

 そして「茶人」としての三溪に焦点を当てる第3章に続く。大正時代に入ると、益田鈍翁(ますだ・どんのう)ら数寄者との交流を通じて、本格的に茶の湯の世界に入っていった三溪。当時の買入覚には、茶道具の収集が熱を帯びる様子が記されている。

 三溪はごく簡素な趣を好み、茶の湯に初めて仏教美術を取り入れた第一人者としても知られる。49歳のときには、自身が構想した茶室「蓮華院」の完成を記念して、初の茶事を実施。同章では、この初陣茶会から亡くなる直前の最後の茶会までの会記を綴った『一槌庵(いっついあん)茶会記』も展示されている。茶会記や茶会での逸話を記録した資料とともに、漆や金銅での彩色が美しい三溪愛用の茶道具を鑑賞すれば、三溪特有の道具の取り合わせ方をたどることができるだろう。

展示風景
展示風景

 第4章は、故郷・岐阜の豊かな自然を賛美し、幼少期より絵画や詩文を学んだ三溪の「アーティスト」としての側面にフォーカスしている。原家の実業を継いだ三溪は、多忙を極める日々のなかで、本牧三之谷の広大な土地に日本庭園を設計。そこに古建築を移築し、自身の創作の精神を「三溪園」として結実させた。

 関東大震災後、横浜の復興に専念した三溪は、美術品の収集や作家支援を自粛するいっぽうで、自らも書画を多く手がけるようになった。同章では、おもに故郷の風情を、輪郭線を用いずにモチーフを直接彩色する「没骨」の技法で描いた作品などが並ぶ。その画面には時々漢詩が詠まれており、画と相まって、三溪の故郷への望郷の念が読み取れる。

 そんな三溪が「パトロン」として本格的な作家支援を始めたのは1907年以降のこと。最終章では、三溪が庇護した横山大観や下村観山、安田靫彦、菱田春草、今村紫紅をはじめとする作家を数多く紹介。三溪によって豊かな地盤を整えられ、日本近代美術を牽引した作家たちの名品で、本展は幕を閉じる。​​

展示風景
展示風景より、横山大観 《游刃有余地》(1914)
東京国立博物館蔵 展示期間=7月13日〜24日