2016.9.28

まちに広がるアート
アッセンブリッジ・ナゴヤ
開幕レポート

「あいちトリエンナーレ2016」が開催されている名古屋に、新たな芸術の祭典が誕生した。その名も「アッセンブリッジ・ナゴヤ」。現代美術とクラシック音楽という2つの柱からなるこのフェスティバルは、美術館やコンサートホールではなく、人々が生活する「まち」を会場とし、世界的な現代美術やクラシック音楽の数々が人々や風景と混ざり合っていくことを目指す。

玉山拓郎 Awesome Rocks 2016
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アートがまちにどう介入していくか? 

「アッセンブリッジ・ナゴヤ」の核となるのが現代美術展「パノラマ庭園 ー動的生態系にしるすー」だ。これは「あいちトリエンナーレ2016」でもキュレーターを務めている服部浩之と、2015年10月から名古屋港エリアで展開しているアートプログラムMinatomachi Art Table, Nagoya[MAT, Nagoya]の吉田有里、青田真也、野田智子がディレクションする。今回は18組のアーティストが参加。名古屋港エリアに滞在した経験をもとに制作された新作を中心に、複数会場で展開されている。

 この「パノラマ庭園 ー動的生態系にしるすー」のコンセプトはどこから生まれたのか。服部氏はこう語る。

「名古屋港エリアのまちをひとつの『庭』に見立てた展覧会です。いわゆる庭園の作庭には、厳格なルールがあり回遊ルートもひとつの物語を辿るように規定されていることが多いです。名庭は、作庭家の思想や価値観が反映されたひとつの物語空間で、どちらかというとひとりのキュレーターが手がける美術館のグループ展に近いものと言えるかもしれません。一方で『まち』は、多様な人が生活を営み、植物が自生するように、さまざまな生の営みが同時に多発し、誰かがコントロールできるものではありません。そのような自生的で動きのあるまちの状況をポジティブに捉え、それ自体を野性的な「庭」に見立てるところから本展の構想を立ち上げました。つまり、有名な作庭家が手がけた制御された庭ではなく、既存の状況を受け入れ、予測不能な変化をどんどん促進するようなかたちの無名の、あるいは多数の人の共同作業による偶然性を受容するオルタナティブな「作庭」を試みたものです。

 まちの人の暮らしと、アーティストたちの作品は基本的にはそれぞれ独立して存在するけれど、思わぬタイミングに共鳴を起こす瞬間があり、新たな動きが加速される。そんな状況を構築していくことを試みています。そのような意思が「動的生態系」ということばに込められています。鳥のように俯瞰して「パノラマ」的に風景を眺め、同時に虫のように隙間を見出しぐっと入り込んでいくこと。その両者を奨励したいという思いがあります」。

言葉でたどる白地図 下道基行《見えない風景》(ポットラックビル)

shitamichi.jpg下道基行《見えない地図》の展示風景。鑑賞者は手前に置かれた白地図を手に取り、まちを散策する

 その土地の観察とフィールドワークをもとに、写真やテキスト、オブジェクトなどを組み合わせ、編集することで視覚化させる作品を発表してきた下道基行。今回は事前に行われたワークショップ《見えない風景》を発展させ、新たな港まちの地図を制作。鑑賞者は言葉のみで示されたまちのランドマークをたどり、そこで見つけた風景を会場にある大きな白地図に書き込んでいく。観客が発見した風景によって構成された新しいまちの姿が出現するだろう。

知られざるブランクーシ コラクル+渡辺英司《ブランクーシの裁縫箱とあれこれ》(ポットラックビル)

DSC02331.JPGコラクル+渡辺英司《ブランクーシの裁縫箱とあれこれ》の展示風景。コラクルによる本や詩、インスタレーションと渡辺によるオブジェクトが並ぶ
タイトルにもなっている「ブランクーシの裁縫箱」が収録されたコラクルによる本

 詩人で編集者のサイモン・カッツと画家・版画家のエリカ・ヴァン・ホーンによる出版社「コラクル」と、図鑑から切り抜かれた植物や蝶のインスタレーションや、彫刻や絵画などを発表する渡辺英司がコラボレーション。コンスタンティン・ブランクーシが作品と並行して制作していた日用品にフォーカスした本をコラクルが出版し、渡辺がそこに登場した品々を模刻というかたちで再現した。会場ではコラクルの多彩な本を手に取って読むこともでき、日々の生活と芸術創造の関係について思考する場をひらく。

部屋の中に無人島が出現? オル太《眺望する無人島》(旧・西本整骨院)

oruta.jpgオル太《眺望する無人島》の展示風景。元整骨院の室内にはさまざまな凹凸があり、そこをライトボックス化してレントゲンのように透過写真を散りばめている

 名古屋港に浮かぶ人口の無人島「ポートアイランド」。そこをリサーチするなかで発見した鳥の白骨から今回の作品は生まれた。人々が生活する部屋を無人島に見立て、その様子を写真や3Dデータとして収集。会場の中心には発泡スチロールでできた部屋=無人島が出現する。

まちに溶け込む抽象 鈴木悠哉《archegraph(Minato)》(旧・いずみや染物店など4会場)

旧・いずみや染物店での鈴木悠哉《archegraph(Minato)》の展示風景。
旧・名古屋税関真砂寮での鈴木悠哉《archegraph(Minato)》の展示風景。

 2016年4月から2か月の間、名古屋港エリアに滞在した鈴木は、まちなかで目にしたコンポジション(構成)を数多く抽出。それをシンプルな形態と色彩に置き換えドローイングとして描いている。今回は旧・いずみや染物店での展示のほか、まちなかにある店舗のファサードや旧・名古屋税関真砂寮など4つの場所に作品を展開し、まちから得たものがまちへと再び解き放たれる。

喫茶店今昔 中尾美園《遠い未来、近い将来》(ボタンギャラリー)

IMG_1360.JPG中尾美園《遠い未来、近い将来》の展示風景。食器や看板など、その店の記憶を継ぐものたちが絵巻形式で細密に描かれている

 仏画の保存・修復を手がける中尾が見せるのは2つの絵巻物。これはかつて名古屋港エリアに存在した2つの喫茶店「キャビン」と「千代田」を取材し、そこにあった調理器具や雑誌などを細密に描くことで、まちの記憶を語り継ぐ。保存・修復の思考を起点に数百年先の未来を見据え、将来発見されるための記録という観点も興味深い。

コーヒーがアートとまちをつなぐ L PACK.《UCO》(旧・潮寿司)

L PACK.《UCO》の一部。UCOという名前は「UFO」と「潮寿司」を引っかけて名付けられた

 「コーヒーのある風景」をテーマに、アートやデザイン、建築、民藝など領域を横断し、コミュニケーションの場を創造するL PACK.が20年もの間空き家になっていた旧・潮寿司を、人が集うカフェへと変貌させた。会期中には週末を中心にL PACK.が滞在し、来店者とコミュニケーションを重ねることで、その場を変容させていく。なお同じ会場には建物をのこぎりで切断する作品群で知られるゴードン・マッタ=クラークの映像作品《Splitting(分裂)》と《FOOD》の2点を展示。

梁と丸太の物語 ヒスロム《美整物 - 1本の梁を巡る》(旧・名古屋税関港寮)

ヒスロム《美整物 - 1本の梁を巡る》の室内展示風景。
ヒスロム《美整物 - 1本の梁を巡る》の一部。展示は屋内と屋外で構成されている

 旧・名古屋税関港寮の庭に浮かべられた1本の大きな丸太。すぐ横の縁側から建物に入ると、中には映像作品とともに巨大な梁が置かれている。ヒスロムはこれまで場所の変化を身体で実感しながら、意味のないように見える遊びや行為を通して、土地を知る「フィールドプレイ」を行い、映像やパフォーマンス、彫刻などを発表してきた。今回は京都の友人宅のはなれを手作業で解体したことをきっかけに始まったプロジェクトを展示。室内にあるのは解体の際に取り出された梁であり、屋外には岐阜の山奥から切り出し、庄内川を下って港まちまで運んできた丸太が浮かんでいる。役割を終えた梁と、将来的に梁へと使用される丸太と並列に展示することで、住まうことや物事の循環などを示唆している。

アッセンブリッジ・ナゴヤが目指すものとは?

 現在、「あいちトリエンナーレ2016」が開催されている名古屋圏だが、「アッセンブリッジ・ナゴヤ」はどう棲み分けていくのだろうか。服部氏はこう語る。

「3年に一度のあいちトリエンナーレは、瞬間の祝祭性がとても強く、大規模で多くの人にインパクトを与えることで、現代芸術への興味関心を高め、地域の文化力をあげることに大きな貢献をしていると思います。ただ、やはり祭りの刹那感も強いでしょう。一方でアッセンブリッジ・ナゴヤは、[MAT, Nagoya]の母体である港まちづくり協議会というまちに根を下ろす小規模ですが意思の明確なインスティテューションを基盤にもっています。大きな施設がないため、一度に巨大な人数の人は受け入れられないですが、継続する時間軸を意識して、一定のペースでアーティストや地域に深くコミットし少しずつアートの要素をまちに挿入していくことで、生活者の視点からまちに少しずつ動きを与え、新たな生態系の循環を作っていければと考えています。両者がうまく役割分担して、共存していくことが大切ですよね」。

 5年という長期スパンを見据えて始まった「アッセンブリッジ・ナゴヤ」。このプロジェクトは果たして名古屋港エリアと、そこに住む人々の暮らしをどのように変化させていくだろうか。