• HOME
  • MAGAZINE
  • INTERVIEW
  • 根本敬を突き動かすものとは? 巨大絵画《樹海》完成後の心境…
2017.12.18

根本敬を突き動かすものとは? 巨大絵画《樹海》完成後の心境を聞く

特殊漫画家の根本敬が約半年をかけて描き上げた、人生史上最大の絵画《樹海》。12月13日〜24日、ミヅマアートギャラリーで開催される本作の展示に先駆けて、根本へのインタビューを敢行した。

聞き手=編集部

ミヅマアートギャラリーにて、《樹海》の前に立つ根本敬
前へ
次へ

 根本敬の新作巨大絵画《樹海》の展覧会が開催される。『美術手帖』本誌でも、マンガ家のニコ・ニコルソンがその制作を追う「根本敬ゲルニカ計画」が連載中だ。

 「ゲルニカ計画」とは、「個人の意思を超えた大きな何かに突き動かされ」た根本が、ピカソの《ゲルニカ》とほぼ同サイズの大作に挑戦するというプロジェクト。今年5月にスタートし、去る10月1日に開催された「鉄工島フェス」にて、初披露。七尾旅人、PBC、石野卓球、岸野雄一など、根本と縁のあるミュージシャンのライヴやDJなどとともに公開された本作は、根本本人によってタイトルを《樹海》とすることが発表された。

 制作にあたっては、現代美術家の会田誠を画材アドバイザーに迎え、工業地帯の京浜島の一角にある「BUCKLE KOBO」をアトリエに借り、制作費のためのクラウドファンディングも実施された。

 そんな《樹海》がこのたび、展覧会で公開される。開催直前の12月9日、設営中のミヅマアートギャラリーで、根本に現在の心境を聞いた。

――根本さんがゲルニカサイズの絵画を描くというところから始まり、当初は「新ゲルニカ」とも呼ばれていた《樹海》ですが、そもそもなぜ《ゲルニカ》だったのでしょうか?

 理由は何通りもあるんですが……。工房の壁に「G・W・C・A」と書いてある奥崎謙三のTシャツを掛けておいて、ちょうどその向かいに「ゲルニカ」が、双方対峙してたんです。奥崎さんはニューギニア戦線で320人のなかで、たった2人生き残ったうちの1人なんですが、Tシャツ1枚でゲルニカっていう戦争の絵と対峙しているっていうのが……。うん、これは落語ですね。うん、理由、なんて言おうかな……。

――描き始める前は、自分の中で《ゲルニカ》がすごく巨大になっていたと仰っていましたね。実際333.3×788センチという巨大サイズですが、いまあらためて見て、やっぱり大きかったと感じますか?

 (展覧会のために)ギャラリーに運び込まれたのを見た瞬間に、京浜島で見ていたときより、さらに小さく感じました。全然違いますね。京浜島にあったときは全裸で油まみれ、ギャラリーでは髭も剃って、ネクタイも締めているという感じ。どっちがいい悪いじゃないけど、そういう印象を受けました。

――会田さんのアドバイスや、「ゲルニカ計画」発案者の穂原さんの存在を、根本さんはどう受け止めていたんですか?

 世代的によく、野球やROCKに例えるんですが(と、穂原さんのほうを見て)……つねに穂原さんが監督ないしはヘッドコーチみたいな立場にいて、会田さんはいつもブルペンで肩慣らししていて、いつでも9回裏のピンチに出ていけるぞ、みたいな。なんかね、もう、古いけど、大魔神・佐々木とか、ああいう感じで。ブルペンで会田さんがいつも投げててくれるから、何かあったら会田さんにすがれば、なんとかなるっていう。アドバイスももちろん役に立ちましたけど、そういう安心感のほうが大きかったですね。

――会田さんとは頻繁に連絡をとっていたんですか?

 いや、折に触れて会田さんが来てくれていて。あいだあいだに会田さんが。ダジャレじゃないですけど(笑)。絵に関するアドバイスも、会田さんがメモに書いてくれた「小技を加えるといい」っていうのを「小枝を加えるといい」って読み間違えて、「あっ、会田さんから初めて具体的なアドバイスが!」と思ってさ、そしたら後から「小技」って書いてるのに気づいた。

――小ワザを小エダと……。それで小枝を描いたんですか?

 はい。でも小枝入って随分良かったなと。樹海な感じがしてきたでしょ(笑)。

根本敬 樹海(部分) 2017 キャンバスにアクリル絵具、水性マーカー 333.3×788cm

――タイトルの《樹海》はどういう経緯で名付けられたのですか?

 もともと、いわゆる汚らしい、えげつないってみんなが思うようなマンガを描いているので、そういうタイトルが期待されてたと思うんですよ。でもそのままだとナンでしょ? いい意味の裏切りがないかなってね。

 それで東山魁夷っぽく考えたんですよ。一応“名画”として描いてるんで、名画らしいタイトルをと。だから、「コレは《樹海》です」って言われちゃえばそうも見えてくるし、深読みできるじゃないですか。

――根本さんのなかでは、マンガとは別物なんですか?

 描いてしまえばマンガなんですよね、やっぱり。ただし、マンガの場合はある程度筋道があって、読んだ人がそれに沿って解釈しますけども、絵画は全面的に見た人の解釈に委ねる。これが《豚小屋のケツ》とか《犬小屋のクソ》とかいうタイトルだったら、見ているほうは、いままで俺がやってきたことをただ大きくしただけと思うんじゃないかな。それはそれでいいんですけど、見た人が色々とイメージできるのがいいかなと。

『美術手帖』本誌で連載中の、ニコ・ニコルソンによるマンガ「根本敬ゲルニカ計画」予告編より

――「個人の意思を超えた大きな何か」に突き動かされたということでしたが、「何か」を言い表すとどういうものなのでしょうか?

 それをいま具体的に話すと、まだニコさんのマンガは続いているので影響が……ただ、要するにみんな重力に動かされてるわけでしょ。カップに入ったコーヒーも、飲んだら軽くなる。それぐらいゆるいものなんですよ。体感的にはゆるいんだけど、考えてみると大きなもの。そういうことです。

――完成した現在の気持ちに変化はありますか?

 これはマンガだろうが文章だろうが小説だろうが、一枚絵だろうが、やっている描いてる最中はあんまりよくわからないんですよ。出だしはちょっとしたことで、気がつくとなんかここまでやっていた、みたいなね。

――《樹海》に続くような作品や、これを超える作品は今後生まれるのでしょうか?

 機会があればね。とにかく自分から最初の一歩を踏み出すっていうことはまず無い。自分から踏み出したのは36年前に、(“当時”の)青林堂にマンガを持ち込んだときだけですね。そこでたまたま運良く採用された。それ以外に、自分から何かやったっていうのはひとつもないです。必ず何かや誰かにきっかけをつくってもらって、じゃあやりましょうと。

 

 今回は10年ぶりに穂原さんにばったり会って、巨大絵を描くという話になった。その頃、たまたまレコードのカバー絵を「塗り」で描いていたんです。なんで塗りを選んだかっていうのはわからないんですけれど、とにかくいつもはドローイングっていうか線画でしょ。でも自分なりに塗りで鍛錬を積んでみようみたいな気持ちがあって。それが次の何かにつながるんじゃないかっていう、おぼろげな直感はあったんですよ。それが結果、こうなったと。

 自然にそういうふうになったというのは、つまり2人とも大きな重力に動かされていたんです。イヌでもネコでもカメでも、みんなそうですよ。体が動いたり、ああしたらいいんじゃないか、こうしたらいいんじゃないかってやったりするのは、何か大きな力に動かされているからなんでしょうね。