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冨安由真が見た「ロン・ミュエク」(森美術館)。リアルの位相の交錯が生む、観客に残された余白【3/3ページ】

世界を見つめる、ミュエクの眼

 本展のクライマックスを成す《マス》(2016)は、100点もの巨大な頭蓋骨で構成されるサイトスペシフィックな大作である。展示空間ごとに配置を組み直して立ち上げる本作は、森美術館では約300平米の空間に展開されており、その光景は圧巻だ。室内に足を踏み入れた冨安は、頭蓋骨の群れをゆっくりと見渡した。「これだけ積み上げられていると、すぐにカタコンベ(古代ローマ時代に迫害を逃れたキリスト教徒たちの地下共同墓地)が浮かびます」と、先にも触れた宗教的表象との連続性を感じさせるひと言。さらに冨安は一体ずつを覗き込んでいき、これらの集合がどのようにつながり、どこで固定されているのか。その理路を読み解こうとする眼差しを投げかけた。

 「作品のあいだを鑑賞者が縫うように抜けていく。そこに生まれる時間が良いですね。これほどの大きさとクオリティを兼ね備えた彫刻群を、そのままインスタレーションとして提示している例は、なかなかない。すごい迫力です」。

 冨安自身も、観客を歩かせる空間をつくり出す作家である。ミュエクと冨安、その設営の手つきはどう異なるのか。ミュエクの場合は、机上で綿密に会場内の作品構成を計算し、今回の《マス》も十分につくりこんだうえでインストールされ、会場での調整はわずかに留まったという。いっぽうの冨安は次のように語る。「施工が必要なものは事前に明文化しておくので、現場で動かすことはありません。ただ、物の配置については、むしろ現場を見ながら判断して組み立てていきます。お客さんの動きや触れ方を見ながら、開幕後も修正を重ねていくことが多いですね」。

ロン・ミュエク《マス》(2016)と冨安。「すべてが同じようでいて、微妙に色調を変えていますね。リアルな造形ですが、いっぽうで重量が軽いことも伝わってくる質感があります」

 ここで冨安の視線はふたたび頭蓋骨の群れへと戻っていく。「気になるのは、作品の重さです。本物の骸骨であればこのくらい、と無意識に計算してしまうので、これはどのように留まっているのかと、構造を考えてしまいます」。本物に限りなく近づいているようでいて、本物ではないことに観客が気づける余白がそこには存在している。ミュエクはそのふたつの位相を、同じ精度で組み立てているのだ。この拮抗が端的に立ち上がっているのが、暗闇のなかに巨大な男性の顔だけが浮かぶ作品《ダーク・プレイス》(2018)と言えるだろう。

ロン・ミュエク《ダーク・プレイス》(2018) ミクストメディア 140×90×75cm ZAMU  展示風景:「ロン・ミュエク」(森美術館、東京、2026) 顔の造形が浮かび上がってくるよう、綿密な照明設計が施されている

 「《ダーク・プレイス》は、見ているうちにバーチャルの世界に紛れ込んだような感覚になりました。浮かび上がってくる顔が極めてリアルなのに、リアルであるがゆえに、仮想現実のなかにいるような印象を強く受けるようにした緻密な照明設計が行われていますね。《マス》も、通常の光だけであれば、どこかに影が落ちるはずなのに、展示にはそれがない。光源が見事に隠されていて、明度のバランス調整も絶妙です」。リアリズムを極めると、バーチャルが立ち上がる。「サイズの逸脱と光の隠し方が、観客の知覚をいま居る場所から少しずらしてしまう」と冨安は語った。

 会場をひと巡りした後、冨安はミュエクが見ているものについて次のように語った。「ミュエクの過去作は知っていたので、人体や人間そのものに興味がある作家なのだろうかと思っていました。けれども本展を一巡してみると、その印象は変わります。人体への興味というよりも、世界そのもの、リアリズムを通して世界を見つめる目線があるのです。それをずらしながらつくっているのではないか。ミュエクが作品を語らないからこそ、見るこちら側に静かに残るものがあります」。

編集部