2018.5.8

イントロダクションとしての
ヴァージル・アブロー

カニエ・ウェストのクリエイティブ・ディレクターで、建築家、アーティスト、デザイナーなど多様な肩書きを持つヴァージル・アブロー。ジャンルを超えて複層的な活動を見せる彼を育んだ背景とはどのようなものか? ファッションブランド「writtenafterwards」を手がけ、展覧会のアートディレクションやファッション学校「coconogacco」の運営を行う山縣良和によるヴァージル・アブロー論。

文=山縣良和

ヴァージル・アブロー
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21世紀型資本主義社会におけるアイロニカルでシンボリックなアイコンとしてのアーティスティック・ディレクター

 2018年3月、ファッション界に大きな衝撃が走った。ヴァージル・アブローがルイ・ヴィトンのメンズのアーティスティック・ディレクターに就任したというニュースによるものだ。

 なぜ衝撃が走ったのか。それは大きく2つの要因からだろう。1つ目は出世の早さだ。彼が世の中で脚光を浴び始めたのは、ほんの数年前である。業界内ではカニエ・ウェストのクリエイティブパートナーであったことは知られていたが、2015年LVMHが主催するLVMH PRIZEにてファイナリストに選出されたことがヨーロッパのファッション界において、知名度を高める大きなきっかけになったことは、容易に想像できる。それから3年という短い期間で、ファッション界の中心的なメゾンであるルイ・ヴィトンへのアーティスティック・ディレクターに抜擢されたのは意表を突くものだった。

 そして2つ目の要因は、彼が黒人であることだ。現在のモードの価値概念の礎と歴史が、数百年もの間、ヨーロッパ(パリ)を中心に語られているのは周知の事実であるし、と同時にパリにはモードの階級的な保守性が色濃く残っているのも事実だろう。そのような場所における中心的な老舗メゾン、ルイ・ヴィトンに黒人がメゾンの“顔”としてアーティスティック・ディレクターに就任するということは、クリエイターとしての力量以上に社会的意義を持つ。もちろんこの背景には、黒人であるバラク・オバマの歴史的なアメリカ大統領就任という出来事があるが、その後のイギリスのEU離脱や、トランプ政権などに見る保守的政治が吹き荒れる時代の真っ只中で、より一層インパクトを与える歴史的な人事となった。

 ファッションの世界にその大きなニュースが流れた時を同じくして、東京ではアーティストとしてのヴァージル・アブローの個展「“PAY PER VIEW”」が開催されていた。「PAY PER VIEW」とは「視聴された分だけ支払うテレビ放送」という意味になる。ヴァージルが表現したかったものとはいったいなんだったのだろうか?「僕たちは全員、消費という行為によってかたちづくられている」という彼の言葉と、彼らの世代に影響を与えた時代をヒントに考察を始めよう。

Kaikai Kiki Gallery(東京)での「“PAY PER VIEW”」展会場風景より。右にあるのが《“dollar a gallon”》(2018) Photo by Koichiro Matsui

ミレニアルズ第1世代の表現者

 彼の価値観の形成に影響を与えたであろう90年代には、ソビエト連邦崩壊によって東西冷戦が終結、その後グローバルに統合していく空気が流れていた。そして95年にはwindows95が発売され、ネットから世界へアクセスする新しい窓が開かれた。その時代背景によって、リアルな世界では様々なものを分類するのために付けられた“タグ”が外されていった時代とも言えるだろう。マイケル・ジャクソンが訴えた“We are the world”やユナイテッド・カラーズ・オブ・ベネトンなどの開かれた全体性を持つ世界観が打ち出されると同時に、MUJIやマルタン・マルジェラによる既存のタグへの異議提案、ケイト・モスなどの性差のないアイコン像などがその次代の空気を象徴するだろう。そのいっぽうでストリートでは、ストリートファッションブランドが世界中に発生、とくに日本において渋谷、原宿界隈で一大ムーブメントが起こるのだが、それはストリートにおける記号消費が始まった時代とも言える。そこで起こったのは、あたかも現在のネット世代のコミュニティ形成と記号消費を予期させるアナログ盤コミュニティだった。

 21世紀に入り、世界には人類にとって経験したことのない未曾有のネットワーク社会が形成された。ネットワーク上で様々な価値観や文化、人種は混ざりあい、千差万別、有象無象の新しいコミュニティが形成された。2010年代以降、SNSの普及によって世界や人々は新しいネットワーク上で記号化、数値化され、再びタグ付けされることとなり、コンピュータのアルゴリズム形成の一部と化し、ジャン・ボードリヤールが『消費社会の神話と構造』で訴えた、高度社会においてすべてのものが記号化されることをより身近に実感する時代となった。その影響はアイデンティティ表現に密接に関与するファッションの世界でも顕著に現れる。InstagramなどのSNS上で“タグ”とパラレルな関係性で、ブランドタグは巨大化し、ロゴ入りトレーナーやキャップが馬鹿売れした。

ヴァージルの文化的背景

 ヴァージルはアメリカのシカゴで生まれ育ち、大学院で建築を学んでいた経歴から、クリエイティブ・プロセスの根幹にまず空間設計がある。ヴァージルのアート作品も、アート単体としてというより、彼がイメージする空間を想定してつくられている。そしてその空間の特徴は、ブラックカルチャーに紐づくヒップホッパー、ラッパーなどのニューリッチたちが求めた自分たちの新しい生活空間であり、その空間と呼応する衣服として、ストリートラグジュアリーという新たなジャンルが生まれた。横断歩道のストライプから着想を得た白のストライプは「OFF-WHITE ℅ VIRGIL ABLOH™」を代表するシンボルでもあるが、衣服としてのストライプは、囚人服のイメージと重なり、同じく囚人の服装から発展したと言われるヒップホップ・ファッションとも通ずる。

 彼のアート作品の、黒のオイルペインティングで塗りつぶされた記号やキャンバスや、映像のなかで呆然と立ち尽くす黒人たちは、資本主義社会に塗りつぶされたブラックカルチャーそのものを暗示している。ブランドのロゴを作品に取り入れる手法は60年代のポップアート、アンディ・ウォーホルの消費社会へのアイロニカルな作品群を想起する。アンディ・ウォホールは量産性をアートに取り入れたが、その部分をヴァージルはファッションを通して表現しているのだろう。総合的なディレクションを得意とするヴァージルへオファーしたのが、ロゴ(タグ)の世界的老舗ブランドであり、“旅”をブランドのコアテーマとするルイ・ヴィトンだ。ニューリッチの新たな生活空間や、ブルジョワジーたちの世界旅行がさかんにおこなわれた時代に生まれた、新たな“旅”としてのネット空間を開拓するパートナーとしてヴァージルを起用したことは腑に落ちる。

Virgil Abloh 《advertise here》 2018 キャンバスに油彩 320x143cm
Photo by Koichiro Matsui
「“PAY PER VIEW”」展 会場風景より、映像作品《"non-cable channel"》(2018)Photo by Koichiro Matsui

再タグ化時代のアイコン

 昨今、様々なコラボレーションが盛んに行われている。例えば昨年大きな話題となった「Louis Vuitton ✕ Supreme」や「Louis Vuitton ✕ fragment design」などのラグジュアリーとストリートブランドとのコラボレーションは、既存の業界内ヒエラルキーに縦揺れを起こすようなインパクトを与えた。これは既存のヒエラルキーへの再定義であり、そして新しいタグ時代におけるタグの再利用、再解釈、再定義だろう。それはネット空間におけるテキストとテキスト(タグとタグ)をハイパーリンクするかたちの新たなネットワーク、コミュニティ形成を参照するかたちで行われる。また、ヴァージルにもっとも影響を与えたひとりと言われているのが、いわゆる裏原ブームを牽引し、現在も日本のストリートカルチャーへの多大な影響力を誇る、藤原ヒロシである。ヴァージルの態度は、縦横無尽のコラボレーターである彼の立ち振舞いと大いに重なるところがある(OFF-WHITE ℅ VIRGIL ABLOH™とfragment designは過去にコラボレーションを行っている)。そのスタイルは自分の立ち位置を定めながら、既存のジャンルや価値観に振り回されることなく、様々なカルチャーを取り入れていくものだ。これは、松岡正剛が述べるように「中空構造であると同時に多中心構造」であるという古来より日本人が持ち得た価値観とも通ずる。1990年代、東京の原宿で発信されたそのような価値観が、10数年経ちキム・ジョーンズやヴァージルなどの世界的に影響力を誇るクリエイターに多大な影響を与えるとは、当時誰が想像したであろうか。ヴァージル特有の先見性は、アメリカンドリームとも結びつき、ダイナミックに概念や巨大産業、業界同士の垣根を超え、既存のルールを変えようとしている。

アート、ファッション&スペース

 ファッション表現とアート表現に関連性は多くあるが、古くから付かず離れずの関係であった。なぜならば、ファインアートは歴史上の価値基準の傾向として、絶対性を求める傾向がある。また普遍的であり、構築的であり、文脈的であり(批評性を持つ)、理屈的であり、合理的であり、根拠らしいもの(男性的)であるのに対して、ファッション表現は、相対的な世界観であり、流動的なもの、曖昧なもの、不完全性、非構築性、根拠のないもの、(女性的)を許容する、もしくは重要視する傾向があるがゆえにアートとファッションにおける相反する価値基準が生まれる。そのような理由から、今日までお互いの業界同士が利用し合う関係性ではあるが、その反面、一定の距離感を取ったままであった(この状況は、半世紀ほど前まで現代美術において、女性アーティストがほぼ存在しなかった事実ともリンクする)。

 ヴァージルのクリエイションにおいては、生活空間を主な主戦場として、あくまでアートを生活空間に飾る一部と位置づけることで、ファッションとアートを同じ消費財の一部、オブジェクト、デコレーションとして扱い、双方を同等な存在意義があるものとして融和させた。さらに言うなれば、彼のアート作品は、生活とかけ離れた美術館ではなく、生活空間においてより力を発揮するシンボリックな碑のような作品なのだろう。

展示風景より《"ALL SIGNS ARE CONTEMPORARY"》(2018) Photo by Koichiro Matsui

 業界単体の古い慣習に飲み込まれることなく、資本主義社会の内部であることを自覚しながら、あっけらかんとしたさまざまな立ち振る舞いを見せることが結果多くのタグを生み、ひとつのタグに由来するイメージの固着を回避し続けながら、自らの可塑的なアイデンティティも維持する。彼はインターネットのなかにもある「ストリート」に着目して最大限にネットワークを張り巡らせた。言い換えるならば現実世界とインターネット上の多くのポートを行き来しながら“旅”をする。

 ヴァージルの表現の本質は、近代以降、ブラックカルチャーの多くの表現が長い黒人差別の歴史から、ある種自虐性を持ったものであったことを継承しつつ、自らをあくまで資本主義社会の内包された存在、ストリート育ちのプレイヤーであることを自覚していることにある。そして現在、あらゆるところに自由に行き来出来る顔認証パス“ポート”を持ちえた存在であり、様々な顔を持つ彼そのものが現代の顔(アイコン)でもあるのだ。