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2017.1.19

プロジェクトは続き、ストーリーは残る。クリストインタビュー

ベルリンやニューヨークで建造物などを梱包する大規模なプロジェクトを実現してきた、クリストとジャンヌ=クロード。25年前に行われた「アンブレラ 日本=アメリカ合衆国 1984-91」のドキュメンテーション展が、水戸芸術館現代美術ギャラリーで開催され、当時のプロジェクトやその背景を、クリストにインタビューした。

文=長島確

東京・丸の内の路上にて。撮影の際にクリストは、道路標識や車道を走る車が写真に写るよう指示をした 撮影=稲葉真
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展示期間を超えて共生し続けるアートプロジェクト

 アートプロジェクトが巷にあふれるなか、50年以上前から「プロジェクト」を実践し続けているアーティスト、クリストとジャンヌ=クロード。茨城とカリフォルニアの風景に3100本の傘を立てた「アンブレラ」プロジェクトから25年後の2016年、茨城でそのドキュメンテーション展が開催された。

 「私たちの作品は2〜3週間程度しか存在しませんが、実現には長い時間がかかります。『包まれたライヒスターク、ベルリン、1971-95』は25年、『ゲーツ、ニューヨーク市、セントラルパーク、1979-2005』は26年かかりました。その過程で、将来の展覧会のために多くのオリジナル作品を手元に残しておきます。いちばん最初のアイデアを描いたものから実現の直前に描いたものまで、プロジェクトの進化を示すドローイングやコラージュです。プロジェクトが終わると、構成物(コンポーネンツ)も集めます。実際に使用したアンカーやケーブル、フック、柱など、あらゆるものです。また、ドキュメンタリー・フィルムもつくります。事後的なインタビューではなく、起こったことの経過を収めたメイキングです。こういうものをすべて集めて、今回の展覧会は構成されているのです」。

展示風景より。会場には当時使われたアンブレラが展示された 撮影=根本譲 写真提供=水戸芸術館現代美術センター

 「アンブレラ」のドキュメンテーション展は、日本とアメリカではまだ開かれたことがなかった(過去にドイツとスイスでのみ開催)。「私たちにとって、ドキュメンテーション展を現地で行うのはとても大事なことなのです」とクリストは言う。

 ドキュメンテーション展の目的は、過去のプロジェクトを伝えるためばかりではない。計画中のプロジェクトの実施許可交渉を進めやすくするため、ということもある。「たとえば『包まれたポン・ヌフ、パリ、1975-85』のドキュメンテーション展は、『ライヒスターク』の許可を取るために行いました。ヨーロッパの都市で行われるプロジェクトの様子を、政治家に見せたかったのです」。

 クリストがドキュメンテーション展で重要視するのは、プロジェクトの「ストーリー」を見せることだ。展示には、多数のドローイングや写真のみならず、地図、図面、手紙、各種申請書、地権者と交わした契約書、作業スタッフ募集の案内など、地道で丹念な準備作業を物語る様々なものが含まれる。 「プロジェクトはすべての許可が取れてはじめて実行に移されます。望まない人に作品を押しつけることはできません。この50年で23のプロジェクトを実現しましたが、その裏では36が実現しませんでした。『ライヒスターク』も『ゲーツ』も『ポン・ヌフ』も、はじめは拒否されました。でも最後には実現できた。何年も何十年もかけて許可を取ったのです」。

 本展で上映された記録映画には、クリストとジャンヌ=クロードが地元の地権者を一軒一軒訪ね歩き、説明する姿が映っている(小学生にまで説明している!)。日本では459人の地権者から許可を取り、その過程で6000杯もの緑茶を飲んだとクリストは笑う。「許可を得ていく過程で、たくさんの、様々な立場の人たちと膨大な議論をする。それによってプロジェクトはアイデンティティーを獲得していくのです」。

アンブレラ 日本とアメリカ合衆国のジョイント・プロジェクト 2枚組のコラージュ 1988 © Christo, 1988 Photo by Eeva-Inkeri
「アンブレラ 6-8マイル、3000本の傘のプロジェクト」のドローイング 1985 © Christo, 1985 Photo by Eeva-Inkeri

プロジェクトは続き、ストーリーは残る

 クリストが時間に縛られず自らの意志でプロジェクトを進められるのは、莫大な資金をすべて自前で調達しているためだ。「1970年代初頭に、法律家と相談して会社を設立しました。私のオリジナル作品を売って資金を集め、プロジェクトを円滑に進めるためです」。

 こうした話を踏まえると、「プロジェクト」は「事業」と訳すべきかもしれない。大規模な土木作業を伴い、進め方はビジネスのそれに極めて近い。異なる点は、単独のアーティストが私財を投じて行い、なんら利益を生まず、完成後は短期間で消えてしまうことだ。

 「2度と見られないことを知っているから、たくさんの人が見に来るのです。プロジェクトは所有できない、買えない、入場料も取らない、すばらしく非合理なものです。ありふれていない、役に立たない(ユースレス)ことこそが、クオリティーを支えているのです」。

 展示期間が過ぎると、ドキュメンテーション展用のアーカイヴを除き、すべての構成物は解体されリサイクルに回されてしまう。クリストは、プロジェクトを残そうとせず、繰り返そうともしない。形としては消えるが、関わった人、体験した人に、語りぐさとして作品は残る。「うちの田んぼに青い傘が立った」「沿道に続く傘を見た」など。ドキュメンテーション展は、ストーリーを語り継ぐ場という機能も持っている。

展示風景より。当時のメモや地図が多数展示された。写真手前は、実際に用いられたアンブレラの台座部分 撮影=根本譲 写真提供=水戸芸術館現代美術センター

 いま進めているのは、「オーバー・ザ・リバー、コロラド州アーカンザス川のプロジェクト」と「マスタバ、アラブ首長国連邦のプロジェクト」だ。前者は川の上に布を張り巡らせるもので、合衆国連邦政府の許可が必要だった。「クリントン政権の時代に交渉を始めたが、ブッシュ政権の8年間はまったく進まなかった。それがオバマ大統領になって、ようやく許可が下りた」とクリストが言うように、プロジェクトはすでに3政権にまたがっている(取材は2016年10月)。後者も、構想の開始は1977年に遡る。これらもまた実現したあかつきには、長いストーリーになるのだろう。

 最後にクリストは、若いアーティストに向けて2つの助言をしてくれた。「楽観的でいること。それから、もっとたくさんの人に会うことです。狭いアート界の外にいる、たくさんの人たちにです」。

『美術手帖』2017年1月号「ARTIST PICK UP」より)