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2016.5.26

「反射」を見つめるまなざし ポクロン・アナディンインタビュー

現代社会における個の人間像から都市に潜むインフラまでを、それらの流動性のなかでとらえようとするフィリピン出身のアーティスト、ポクロン・アナディン。2月から3月にかけてTARO NASU(東京・馬喰町)で開催された個展「Sidereal Message」に際し、万物の移ろいの匿名的な観測者たらんとする作家の試みに迫った。

熊倉晴子

個展会場近辺にて 撮影=永峰拓也
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人、水、都市、天体の観測 とらえがたきもののポートレート

ポクロン・アナディンは1975年フィリピン生まれ、フィリピンのコンセプチュアル・アートの父、ロベルト・チャベットの教え子の一人であり、現在もマニラを拠点に活動している。写真、映像、インスタレーションなど様々な形態をとる作品は、継続的なリサーチやある種の習慣の蓄積からの引用、あるいは抜粋である。

一つひとつの作品のテーマや課題はお互いに関係のないように見えるが、実はそれぞれの背景にある彼の関心やコンセプト、個別の事象、状態がお互いに複雑に絡み合うように存在しており、今回展示されている3つの作品も同様である。

ポクロン・アナディン カウンター・アクトIX 2012 透明印刷された白黒写真、ライトボックス 78.6×168.6cm © Poklong Anading Courtesy of 1335MABINI, TARO NASU
ポクロン・アナディン カウンター・アクトVII 2015/2016 透明印刷された白黒写真、ライトボックス 78.6×168.6cm © Poklong Anading Courtesy of 1335MABINI, TARO NASU

展示のメインとなる大きなプロジェクション、および奥の部屋に設置されているライトボックスの作品は、2004年に始まった「カウンター・アクト」シリーズの一部であり、昨年の春に東京で撮影された作品を基にしている。

被写体となっているのはたまたま通りかかった一般の人々で、顔の前に円形の鏡をかかげ、アナディンがファインダーを覗くレンズに向かって太陽の光を反射させている。従って顔の部分に強い光が生じ、その人の顔を見ることはできない。このシリーズもまた、アナディンにとってはリサーチの一環であり、知らない土地に滞在する際に「人に話しかけ、会話し、コミュニティーに介入するための方法」だ。

同時に、写真という行為で対象をとらえようとしながら、光によってそれが阻まれてしまうという、相反する状況も生み出している。六本木アートナイト2015出品作の制作のため、私は昨年春の撮影に立会い、アナディンとともに桜が満開の東京を歩き回った。彼が希望した撮影場所は、ひとつは集合写真を成立させるための大きな階段のあるところ。もうひとつはゴミ処理場や、下水処理に関係する場所だった。

不思議に思って理由を尋ねると、パリで下水道博物館を訪れて以来、街の根幹であり、地域によってその方法の異なる下水処理のシステムに興味を抱いていると言う。

「どのようにその都市がシステムを構築し、利用し、それと付き合っているかに興味を持っています。私たちが飲んだり、手や体を洗ったりしている水が、海にかえる前、そしてふたたび私たちのもとへ戻ってくる前に、どのように扱われているのかということです」。

「反射」でつむぐ宇宙のポートレイト

ポクロン・アナディン すべての水は島である(お台場湾岸) 2015 シングルチャンネル・ビデオ 4分33秒 Photo by Keizo Kioku © Poklong Anading Courtesy of 1335MABINI, TARO NASU

こうした都市の構造、水の流れへの関心は、もうひとつの出品作「すべての水は島である」にも表れている。2013年のバンコク大学ギャラリーでのレジデンスをきっかけに始まったこのシリーズでは、画面の中央に川面がキラキラと光っている。水の揺らめきを縁取っている黒い影は作家自身の、まるく円を形づくった望遠鏡の手のかたちであり、人間が自然を規制し利用していることと重なって見える。

「マニラでは渋滞がどんどん悪化して道路が巨大な駐車場のような状態になっています。しかしバンコクと違って、水上交通が発達しているわけでもない。パッシギ川の汚染が非常に深刻だからです。自らが原因で流れる川を利用することができなくなっているのです」。

アナディンは、矛盾をはらんだ都市の発展の象徴とも言える河川の流れ、それをフレーミングする手、渋滞で止まった街の機能といういくつかの要素を結びつけながら思考を続ける。手、あるいは人間の身体は絶えず動き、躍動していて、ファインダーとして対象を固定しようとしても決してそれがなされることはない。

ポクロン・アナディン Ilang tala patungkol sa mga tala(星々の観察) 2015 ビデオ、オーディオ 22分32秒 Photo by Keizo Kioku Commissioned by Mori Building Co., Ltd. Photo by Keizo Kioku © Poklong Anading Courtesy of 1335MABINI, TARO NASU

 また、今回の展覧会タイトル「Sidereal Message」はガリレオ・ガリレイの著書『星界の報告』(1610年)の英題である。本展のための最新作、《Ilang tala patungkol sa mga tala》は、『Sidereal Message』のタガログ語の翻訳版を、フィリピン国内のレジデンスで出会った老婆が朗読したものである。彼女は朗読に徐々に飽きてしまい、現在は街の光によって見えなくなってしまった、かつての果てしない星空について語り始める。その朗読および老婆の独白は、日本を一度も訪れたことのないフィリピンの日本語教師によって翻訳され、タガログ語の音声に合わせて字幕としてモニターに表示される。

今回の展覧会において、複雑につながり合うたくさんの要素の中心にあるのは「反射」である。「写真という行為は、光をとらえることです。そして被写体である私たちはすべて光を反射する鏡なのです」。太陽から発せられる光を反射する天体と、私たち一人ひとりの身体、お互いに影響しあうすべてのものは、反射しあうもの同士という視点に立てば、すべて並列にとらえられるのかもしれない。

ポクロン・アナディン フラッシュバック(カウンター・アクトIII) 2013-15 音感知画像再生プログラム サイズ可変 © Poklong Anading Courtesy of 1335MABINI, TARO NASU

また、天体という遠く離れた存在、そのシステムを観察するガリレオの視線と、人間の生活における動き、関係性、相互作用などを見つめるアナディンの制作における基本的なまなざしも重なりあっている。一見遠く離れたものを一瞬で結びつけるトリックとしての思考があり、それは終わりと始まりを持たない円環構造である。継続的なリサーチを通じて宇宙全体を日常的な行為と同じように扱うポクロン・アナディンに、展示空間もまた宇宙の一部であることを、思い出させられたような気分だ。

(『美術手帖』2016年5月号「ARTIST PICK UP」より)

PROFILE

POKLONG ANADING 1975年マニラ生まれ。99年フィリピン大学卒業。フィリピンのコンセプチュアル・アートの父と呼ばれるロベルト・チャベットに学ぶ。「六本木アートナイト2015」でも展示された「カウンター・アクト」シリーズで知られる。2002年と12年の光州ビエンナーレ、09年ジャカルタ・ビエンナーレに参加。12年「アジアの亡霊」展(サンフランシスコ・アジア美術館)に出品。