2015.11.17

F/Tの注目作『GBB』を語る 岡田利規×高嶺格インタビュー

ついにスタートした国際演劇祭「フェスティバル/トーキョー15」。なかでも特に熱い注目が寄せられるのが、11月19日から始まる岡田利規演出の『God Bless Baseball』です。野球を題材に、日本・韓国・アメリカの関係を問う同作は、「日韓あるある」「野球あるある」的なユーモア溢れるやり取りを経て、やがて我々に東アジアの戦後史を概括する視点を示し始めます。そのなかで大きな役割を果たすのが、美術家の高嶺格が手がけた舞台美術。舞台上に浮かぶ、白い円盤が意味するものとは何か? そこに起こる変化は、私たちに何を訴えかけているのか? 岡田利規と高嶺格の対談を通して、『God Bless Baseball』が目指すものを考えます。

島貫泰介

©Asian Arts Theatre (Moon So Young)
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GBBとGBA

──新作『God Bless Baseball(以下、GBB)』の美術を、高嶺格さんに依頼した理由からお聞きしてもよろしいでしょうか?

岡田:理由はとても単純で、高嶺さんが《God Bless America》(2002)をつくった人だからです。野球という題材を通じて日韓を描き、その先にアメリカの存在を浮かび上がらせる、という作品を構想した最初の時点から、高嶺さんのことが念頭にありました。

──2.5トンの粘土を使った映像作品ですね。粘土製の巨大な顔がアニメーションで変化しながら、アメリカ合衆国第二の国歌とも言われる「God Bless America」を歌い、その周囲には高嶺さんや共同制作者らの姿、日常生活も映り込んでいる。

岡田:非常に明快にアメリカの大きさ......デカすぎて見えない存在感を表現していると思います。あと、僕の作品って、軽くてシンプルで物質性を感じさせないものになることが多いので、高嶺さんの力を借りて違うものを持ち込みたいという気持ちもありました。

岡田利規

高嶺:岡田さんとは、いつか一緒に仕事をするんだろうなという予感があったんですよね。だからオファーが来たときは「あっ、今がその時なんだ!」という感じでした(笑)。『現在地』(2012)や『地面と床』(2013)など、震災以降の岡田さんの作品はいくつか見ていて、繊細な内容を繊細なまま、とても複雑な手つきで見事にこなしている 方、という印象を持っていました。

──2002年当時、高嶺さんは《God Bless America》をどのような心境で制作されたのでしょうか?

高嶺:9.11テロをきっかけにつくった作品で、当時感じていた(アメリカに対する)違和感みたいなものをどうやったら作品にできるかを模索していました。作品として国を扱うこと自体が難しいですし、特にアメリカはいろいろな意味でシンボリックな存在でもありますから。

......あ、思い出した。最初は言葉を使おうと思ったんですよ。自分が感じているいろんなことを言葉にしていこうとしたんだけど、とても難しかった。ところが「God Bless Ameica」の歌を使った瞬間にそれが全部クリアに見えたんです。

高嶺格 God Bless America 2002

──直感的な跳躍は、高嶺さんの作品にしばしば魅力的に登場します。

岡田:最初僕の頭にあったイメージは、舞台奥にそびえている巨大な壁が途中でなくなり、背後に巨大な星条旗が現れる、というものだったんですけど、それじゃダサいわけで(笑)。でも、高嶺さんなら、それをもっと感覚的なものにリアライズしてくれるはずだと思っていました。そして、実際それをしてくれました。この作品において、言葉でアメリカを説明するのは得策ではないということは、最初からわかっていました。言葉によらない「跳躍」を使って、アメリカという存在を扱う必要があったんです。

──それが舞台の上空に浮かぶ白い円盤状の美術に結実したわけですね。僕は『2001年宇宙の旅』に登場するHALを連想しました。宇宙船の乗組員に託宣を与える予言者や神のイメージ。

岡田:なるほど。確かに、あれが発する「声」もあいまって、HALを連想させるかもしれませんね。

©Asian Arts Theatre (Moon So Young)

日韓問題を脱臼させたい

──『GBB』が初演されたのは今年の9月、韓国の光州です。日韓共同制作という座組ですから、当然二国間の関係が主題になると思っていました。

岡田:日韓の二国間の問題、いわゆる日韓問題は、もちろん大事なものですが、それは同時に、その先の問題を考えるのを妨げる障害になってしまう可能性もあると思います。僕は今回、その先にある問題を扱いたかったので、日韓問題を脱臼させるような仕組みが必要でした。配役に関していろいろトリッキーなことをしていますが、それはそのためなんです。イチローも出てきますし(笑)。「日韓」という枠組みを脱臼させないと辿り着けないラストシーンに、辿り着きたかったんです。

──高嶺さんは岡田さんの構想をどのように受け止められましたか?

高嶺:いまの東アジアの空気感は、すごく操作されている印象があります。この地域が仲良くしていない方が利益になるという判断に基づいて、時代の空気がつくられているのではないかと感じます。だからこそ、一歩引いた視線はとても重要です。アメリカ発祥の「野球」を通して見てみるというのは、絶妙なポイントを突いていると思いました。

──高嶺さんのパートナーは在日韓国人の方ですから、現代美術というジャンル内での視座だけでなく、個人の実感としても二国間の葛藤を体感されているのではないでしょうか?

高嶺:在日を扱った作品がシリーズで3つありますが、それらは個人の葛藤を個人的な話として描いています。作品をつくるときにいつも慎重になるのは語り口。一人称か二人称か三人称

か、視点の軸を最初に決めるんですよね。《God Bless America》のときには、アメリカという対象に対して軸がなかなか定まらず、苦労した記憶があります。

高嶺格

──高嶺さんも岡田さんも、国内だけではなく海外でも作品を発表されていますが、地域ごとの受け止められ方まで視野に入れるのは難しいことなのではないでしょうか。

岡田:『GBB』は明らかに日韓の関係にフォーカスした作品で、東アジアの地政学がベースになっていますから、そのコンテクストがわからない人にとっては理解の難しい作品になっているという自覚はあります。実際、光州での初演を見たヨーロッパの演劇関係者は、あんまりぴんと来ていないようでした。

でも、この作品はそれでいいんです。野球自体が世界的にはマイナーなスポーツだということを、知っていてあえて扱っているわけですし。光州事件のきっかけをつくった全斗煥(チョン・ドファン)大統領のことから、韓国のスナック菓子まで、ローカルなコンテクストを扱ったから、光州の初演では地元のお客さんとすごくしっかりつながれた気がします。

高嶺:僕も客席から強い反応を感じましたが、それ以上にもっと確かな手応えを感じたのは、現場の設営スタッフが、本番前のリハーサルを食い入るように見ていたことです。僕も大道具のバイトを長いことやっていたからわかるのですが、普段仕事として作品に関わっている彼らが、ああいう食いつき方をするというのは珍しい。つまり、いわゆるアートファン以外の層に対しても力を持つ作品になったんじゃないかと。

©Asian Arts Theatre (Moon So Young)

──韓国で上演することに対して気負いはありませんでしたか?

岡田:今年の1月から2月にかけてソウルに滞在して『GBB』の稽古をしたんですが、その最終日に作品の一部を公開したんですよ。そのあと、この作品の構想について話す場も設けました。そこで僕は「野球を通して、韓国と日本との関係を大きく規定しているアメリカの存在について描きたいと思っている」と話しました。すると、韓国のお客さんから「アメリカを言い訳にして日本と韓国の歴史的関係を言い逃れしようとしているのではないか。だとしたら非常に心配だ」というコメントがあったんです。

その指摘は僕に対してとても重くのしかかって、以降の制作に大きく影響しました。もちろん、日韓問題をかわすような作品をつくろうなんてはじめから思っていなかったけれど、相当クリアに僕たちの現代史の根幹にあるものを描かないと、という思いを強くしました。ほかの僕の作品よりも、とてもシンプルな筋の作品になっています。

──たしかに、配役や「語る主体」に仕掛けはありますが、物語自体は直線的に進んでいきますね。その明快さは、韓国の方からあった指摘にも起因しているということですね。

岡田:そうですね。でも、実際に稽古を進めるなかで僕個人が感じるようになった空気は、また異なっていました。インタビューなどで「韓国人の役者と仕事をしてどうでしたか?」という質問を頻繁に受けるのですが、僕にとってはそれがピンと来なくなってしまったんですね。僕の中では、2人の韓国人と仕事をしたというより、イ・ユンジェさん、ウィ・ソンヒさん、という個人と仕事をしたという感覚になっているからです。

だから、もう国籍の違いという観点からコメントすることは難しい。もし今後韓国人俳優との仕事の機会がもっと増えてくれば、その質問にも答えられようになるのかもしれませんけど。

©Asian Arts Theatre (Moon So Young)

想像することを大切にしたい

──作品が完成していかがですか?

岡田:最初に思い描いていたものを、形にできたと思っています。先ほど話した韓国の方から寄せられた疑義に応えたものにもなっていると思います。

高嶺:コラボレーションって、聞こえはいいけど、実際は試練なんですよね。価値観の闘争なんです。つまり、最終的に目指している世界が異なっていた場合、非常に難しいものになってしまう。その意味では、今回はとてもいいコラボレーションができたと思っています。岡田さんが最終的に目指す世界はまだ知りませんけど(笑)。

僕は今回舞台美術を担当したわけですが、すごく勉強になったのは岡田さんの柔軟さでした。ああいう有機的な舞台美術なので、実際にどういう動きをするかは、本番直前までわかりません。そこで岡田さんは、実際に舞台上で美術を目にするまで待って、それに合わせて最後に作品全体をアジャストしました。その作業がなければ、僕がプレミアを見てあんなに感動することはなかったと思います。

──制作プロセスも円滑に進んだわけですね。

高嶺:苦労話はもちろんありますが、新しい素材にチャレンジするのはいつでも興奮があります。「崩壊」を具現化するための素材をいろいろ試した末、素材は見つかりました。でも、舞台の場合、仕込みとバラシを最大限に効率化することが舞台の鉄則なんです。それが舞台と展覧会の違いですね。

だから、特に海外ツアーに回すことを考えると、今回のような有機的なセットなんて、普通はあり得ないんです。それが最大の難関だったんですが、舞台監督の鈴木さんが見事に実現してくれました。想像していた以上に効果的な美術になったと思っています。

──高嶺さんの美術によって、過去の岡田さんの作品にはなかった有機性が獲得できたのではないでしょうか。

岡田:そうですね。見た目の造形に関してだけではなく、作品全体についてもそう言えると思います。

──「有機性」という言葉は「可塑性」と言い換えることができる気がします。『GBB』の後半で重要になるのは「想像力」ですが、想像することは可塑的なものとして現実を把握する方法ですから。

岡田:そうですね。それこそが、いまいちばんやりたいことです。現実をリアルに活写することよりも、想像をしたい。ソウルで稽古をしていて、あるとき『トゥルーマン・ショー』のことが頭に浮かんだんですよ。ハリウッド映画ですけどね(笑)。

──人生のすべてがテレビ・ショーになっている男の物語ですね。自分以外は全部役者で、生まれ育った街もスタジオのセットだったという。

岡田:ラストで、自分の生きてきた世界の端っこの壁に触れた彼がその外に出て行く決断をしたことに、僕は素朴に感動しました。『GBB』は、なんとなくあんなふうな作品にしたいなと思ったんですよ。我々の置かれている現実の外に出てみるという、想像力を持ったものにしたかったんです。

©Asian Arts Theatre (Moon So Young)

──11月の日本初演を経て、『GBB』はアメリカでも上演されますが、どんな反応があると思いますか?

岡田:まるでわかりません(笑)。だからどういう反応になるのか、上演に居あわせるのが今からすごく楽しみなんです。

高嶺:僕はアメリカツアーには行かないのですが、アメリカ公演は本当に怖いです(苦笑)。激怒する人もいるんじゃないかなあ。

──《God Bless America》をアメリカで展示したときはどんな反応でしたか?

高嶺:いや、むしろ喜ぶ人も(笑)。俺たちの愛する曲を歌ってくれてるぜ、ということなのか......やっぱり、反応は予想がつかないですね。

岡田:日本や韓国にとって、アメリカが父のような存在であるというアレゴリーが通じるのかどうかさえ、わからないですからね。どっちなんだろう?