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2016.12.15

誘惑は500年の時を超える。クラーナハの女性像を読み解く

クラーナハの絵画、なかでも女性像は、20世紀美術の巨匠であるピカソやデュシャン、そして作家・澁澤龍彦など、多くのアーティストを魅了し、インスピレーションをもたらしてきた。その魅力と独自性の源を探る。

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ルカス・クラーナハ(父) 《泉のニンフ》 1537年以降  ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵  © Courtesy National Gallery of Art,Washington
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 独特のプロポーションの華奢なヴィーナス像で知られるルーカス・クラーナハ(父)(1472~1553)。歴史の教科書でもお馴染みの《マルティン・ルター》(1525)もまた彼の作品です。宮廷画家、宗教改革の擁護者、ビジネス感覚に優れた企業家など、様々な顔を持つ彼は、イタリア・ルネサンスの成果がアルプスを越えてドイツ語圏へと達し、現地の美術の伝統と融け合いながら独自の発展をとげた「北方ルネサンス(ドイツ・ルネサンス)」を代表する画家のひとりでした。

クラーナハと「ヴィーナス」

 ヴェネチアで修行したアルブレヒト・デューラーやイタリアのヤコボ・デ・バルバリら、同時代の画家たちの作品を通し、古代の理想的な人体表現の研究に取り組んでいたクラーナハが、初めて「ヴィーナス」をモチーフとした作品に挑戦したのは、1508~9年のことでした。

ルカス・クラーナハ(父) ヴィーナスとキューピッド 1509 エルミタージュ美術館蔵(パブリックドメイン) ※展覧会には出品されていません

 この作品は、古代ギリシア・ローマの女神が、アルプス以北において等身大で描かれた最初の例でもあります。陰影によって体の凹凸が表現された、ボリュームを感じさせる肉体表現は、クラーナハの代表的な作品のイメージとは明らかに異なる、イタリア風のものです。しかし、クラーナハ作品において重要なモチーフである「紗の布」が、この頃から登場しています。

ルーカス・クラーナハ(父) ヴィーナス 1532 シュテーデル美術館蔵(パブリックドメイン)

 研鑽を重ねたクラーナハは、1520年代には独自の様式を確立させます。《ヴィーナス》で描かれているのは、小さな丸顔に、狐にようにつり上がった目、リズミカルなS字を描いて浮かび上がる体。全体的に肉付きが薄い少女のような体型の、独特の裸体像です。《ヴィーナスとキューピッド》にも登場した紗の布を両手に持つポーズは、自分を見ることを促しているかのようです。

 小ぶりな乳房やなで肩、膨らんだ腹部といったいくつかの要素は、ドイツに長く根付いたゴシック美術の表現と共通しています。クラーナハは研究を重ねるなかで、伝統的なゴシック美術の表現方法を吸収・昇華し、洗練された新たな美をつくり上げていったのです。

 また、黒無地の背景も彼の工夫のひとつでした。これによって裸婦は背景の「物語」から切り離され、人間というよりも繊細な工芸品のような「見られる対象」として、私たちの前に現れるのです。このように描かれたクラーナハの裸婦像は贈答用にも使われ、国内外に流布していきました。

ヴィーナスとファッションアイテム

ルカス・クラーナハ(父) ヴィーナスに不平を言うキューピッド 1525 ナショナルギャラリー蔵(ロンドン)(パブリックドメイン) ※展覧会には出品されていません

 クラーナハの裸婦像を独特のものとしている要素には、彼女たちが身に着けているファッションアイテムも挙げられるでしょう。ボッティチェリらイタリアの画家が描くヴィーナスが古代風の衣装をまとっているのに対し、クラーナハの描くヴィーナスは、当時ドイツの宮廷で流行していた帽子や首飾りなどのアクセサリーを身に着けています。

 この作品に描かれた大きな帽子は「ビレッタ」と呼ばれるもので、《ホロフェルネスの首を持つユディト》をはじめ、クラーナハの作品に頻繁に登場します。頭巾に縫い付けて固定し、片耳を隠すようにして斜めにかぶるこの帽子は、縁に切り込みを入れてダチョウの羽飾りや宝石を乗せたり、鎖をぶら下げたりと多様なアイテムで飾り付けられました。また、イタリアを起源とする大ぶりなチェーンの首飾りを身に着け、その上にはチョーカー状のアクセサリー「ドッグ・カラー」を重ね着けしています。

 当時、高貴な色とされていた赤色が使われた帽子や、金色に輝く首飾りの色彩や質感は、身に着ける女性たちの肌の白さやなめらかさをより艶かしく引き立たせ、独特のエロティシズムを醸し出す要因ともなっています。

「女の力」を描く

 クラーナハの描いた女性像は、「見られる対象」に留まらず、鑑賞者を逆に見つめ返し、惑わそうとしているようにも感じられます。クラーナハが活躍した16世紀ドイツの美術界では、女性の持つ「惑わす力」に着目した、「女の力」と呼ばれるテーマ群が大流行していたのです。

 男が女の身体的魅力や性的な誘惑に屈し、死や破滅へと導かれる物語は、古今東西に共通します。クラーナハは、こうした「女の力」を、自らの表現の根幹とみなしていました。彼は聖書や神話、世俗的な主題など、多様な源泉から「女の力」にまつわるエピソードを抽出し、絵画のテーマとしています。そのひとつが、本展が修復後初の公開となる《ホロフェルネスの首を持つユディト》です。

ルカス・クラーナハ(父) 《ホロフェルネスの首を持つユディト》 1525/30年頃  ウィーン美術史美術館蔵 
© KHM―Museumsverband

 一見すると、流行の衣装をまとった宮廷の貴婦人の肖像画のようです。しかし、その手は切り口も生々しい男性の生首を掴み、反対側の手には凶器と思しき長剣が握られています。凶行の名残でしょうか、無表情に見える女性の頬にはうっすらと赤みがさしています。彼女こそ、旧約聖書外典「ユディト記」のヒロイン、ユディトです。

 首の男はアッシリアの将軍、ホロフェルネス。彼は大軍を率いてユダヤの町ベトリアを包囲し、降伏間近まで追い込んでいました。そんな彼のもとを訪れ、進軍の手引きを申し出たユダヤ人女性がユディトです。美しくて賢く、有益な情報を提供してくれる彼女を気に入って宴に招待したホロフェルネスは、ユディトにすすめられるままに酒を飲んで酔いつぶれ、首のない死体となって発見されます。

 味方を裏切ったふりをして敵将を討ち取ったユディトは、中世以来、救国の英雄として、また悪徳に打ち勝つ美徳の象徴として表象されてきました。しかし見方を変えれば、己の美しさと巧みな話術で男を破滅に導いた恐ろしい存在です。虚ろな目の男は「女の力」とは物語や歴史の中のものではなく、鑑賞者たちが生きている現実の中にこそ潜んでいると、警告を発しているのかもしれません。

 生首は同時に、ユディトの冷たく妖しい美しさをいや増す要因ともなっています。滑らかな白い肌や波打ちながら流れ落ちる赤みがかった髪は、アイテムに象徴される行為が残酷であるからこそ、より妖しく美しく輝くのです。彼女の手元から顔へと再び視線を戻すと、こちらをしかと見据える切れ長の目とぶつかります。「貴方は私の力に抗いきることができるのかしら?」。そんな声が聞こえてくるようです。

 クラーナハの作品の魅力は「毒」に例えられるかもしれません。スパイスのように味に彩りを添え、感覚を心地よく刺激してくれるいっぽうで、一度知ったら忘れられず、量を過ごせば死や破滅が待っている。クラーナハは登場人物の視線や表情、背景に書き込んだ銘文で、見る人に赤信号を送っています。しかし、今も昔も変わらず、人間は危険な存在に惹かれてしまうもの。この冬、あなたもクラーナハの「毒」に触れてみませんか?