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2018.6.5

揺れ動く東京をとらえた、
加速する筆触。沢山遼が見た、
長谷川利行展「七色の東京」

関東大震災から太平洋戦争直前の東京を歩き回り、その日暮らしの生活のなか、街の息遣いを描いた長谷川利行。その新出作品、近年の再発見作、代表作を含む約140点が集まる回顧展が府中市美術館で開催中だ。「放浪の天才画家」のイメージとともにある長谷川の作品を、美術批評家の沢山遼が分析する。

文=沢山遼

長谷川利行 青布の裸婦 1937 個人蔵
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長谷川利行展「七色の東京」 筆触網と非気密性 沢山遼 評

 昭和初期、長谷川利行は定居を持たない放浪生活を続けながらカフェや鉄道などの都市の情景を描き、最期には行き倒れとして東京市養育院に収容され、看取る者もなく死んだ——。長谷川利行を語る際、頻繁に引き合いに出されるこの話をはじめ、生前、長谷川利行と関係した誰もが語るように、長谷川は(彼の残した絵画と同様に)逸脱を恐れない、無頼、浪浪、孤高、貧窮の画家だった。だが、もとより長谷川についての多くの文献をものした天城俊彦と矢野文夫のうち『長谷川利行(美術選書)』(美術出版社、1974)の著者でもある詩人の矢野が告解するように、このような長谷川像は、それなりの評価を受けながらも不遇のうちに死んだ長谷川の業績を高めることを意図して記述されたものでもあったのだから、「放浪の天才画家」のイメージが、人々が好む近代画家像との共振を狙ったものでもあったことを考慮する必要がある。

 こうしたことを含めて、長谷川利行は、厚塗りされた画家伝説が作品の真摯な検証を遠ざけてきた不幸な画家でもある。だが同時に、伝説的事実のいくつかは、長谷川の絵画を見る経験に重要な情報をもたらすものであるという点において、簡単に無視しうるものでもない。

 例えば長谷川はアトリエを持たず、各所を移動しながら絵を描いた。風景画は都内の路上で描き、肖像や大作を描く際は、他人の住居に押しかけ制作した。また、《靉光像》《水泳場》《ハルレキン》については30分という高速で仕上げたという証言が残っている。加えて、酒代や電車賃、家賃などの代わりに頻繁に知人たちに絵を売りつけ、生活をつないだとも言われる。

 これらに共通して見られるのは、運動、移動、速度、流動、漂泊、即興などを一貫して志向し、事象の停留を嫌う長谷川の態度である。《鋼鉄場》の制作に際しては、ドンゴロスと呼ばれる荒い目の麻袋を縫い合わせ、それを画布として空き地の壁に打ち付け描き、展覧会で発表したあとバラバラに解体してしまったと伝えられている。篠原有司男のボクシング・ペインティングを彷彿させる光景である。いずれにしても、そこに認められるのは、流動性・運動性に満ちた、その都度変転してやまない仮設的な絵画状況だ。生前確固とした評価を築くことなく、木賃宿を転々としながら食いつなぐ画家生活を送ったこともあり、長谷川の作品には所在不明となったものも多い。そのため、《カフェ・パウリスタ》や《白い背景の人物》などの重要な作品が近年立て続けに発見されることにもなった。つまり、作品もまた、長谷川と同様に、人知れず漂泊していたのである。今回の回顧展は、それら新出の作品を含めることによって、これまでにない長谷川の全体像を包括的に提示している。

長谷川利行 カフェ・パウリスタ 1928 東京国立近代美術館蔵

 新出の《カフェ・パウリスタ》や《白い背景の人物》が重要なのは、それが、長谷川が獲得しようとしていた特異な「方法」を示しうる点にあるだろう。矢野らが形容するように、長谷川の作品は「台風」や「嵐」のような勢いで描かれた。じっさい長谷川の絵画を見れば確認されるように、絵画制作における速度の重視は、塗ることを抑圧し、筆触というよりも線的(文字的)な筆跡に似た、ストロークの反復を導く。つまり速度への接近は、描写と筆触の多様性を抑圧し、同一パターンの分布を生じさせるのだ。しかもその絵画では、作品毎に異なるストロークの幅の同形性が見出される。晩年の様式にみられるのは、画面に白い地塗りをしたあと(あるいは下地すら施すことなく)線の散布によってイメージを立ち上げるという方法である。それは、絵画を覆う、ざっくりとした筆触の網、「筆触網」のような構造を画面に与える。それは、隙間に満ちた空間である。

 長谷川利行の逸脱的な描写が示すのは、長谷川が、描かれる対象=入力される視覚情報と描写=出力のあいだの些細な齟齬を問題とせず、その照合にも無頓着であることである。加速する絵筆によって長谷川利行の描く東京は、逸脱、崩壊、解体の予徴に満ちた、危機的表象へと変貌する。そのホームレスな描写がもたらすのは、隙間風が吹く建物やボロボロに破けた服に似た、画面のなかを風が吹き抜けていくようにすら感じる、一種の「非気密性」ではないだろうか。

 その描写の特異性は、長谷川の存命中から同時代的に認識されてきたものであると言える。二科展などに繰り返し出品した長谷川の絵画は、画家や評論家たちから、密度、造形力、まとまりがなく散漫であると難詰されてきたからだ。長谷川の絵画を特徴付けるのは、線の散布が生起させるその非気密性であるのだから、とりあえず、その指摘自体は間違っていないと言えるだろう。長谷川の絵画はたしかにそのように描かれている。だが、そうした評言は、長谷川が描き出すものが、画面内部から吹き荒れる暴風に耐えかねて筆触網の緊張がバラバラに決壊・崩壊する一瞬間の、まさにその極点(クライマックス)にほかならないことを見逃している。長谷川の描く都市は、関東大震災後のカタストロフを経て再び蜃気楼のように立ち上がった揺れ動く東京に、ひとつの真実性を与えるものであったにちがいない。都市だけではない。《白い背景の人物》あるいは長谷川の描く少女たちの絶対的な単純さもまた、吹けば飛んでいくような一本一本の線の奇跡的な結びつきによってつくりあげられている。ただイメージだけが、その崩壊をかろうじて押しとどめている。