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長岡現代美術館

Nagaoka Contemporary Art Museum

 新潟県長岡市に所在した、日本で初めて「現代美術館」の名を冠した私立美術館。元・大光相互銀行のオーナー、駒形十吉が収集した「大光(たいこう)コレクション」を展示・公開するための施設として、1964年8月、長岡文化会館内に開館。館長には駒形が就任し、美術館の外壁には斎藤義重のレリーフが設置された。当初の大光コレクションは近代日本洋画を中核としていたが、東京画廊の初代オーナーである山本孝が収集のアドバイザーを務めるようになってからは、同時代の欧米現代美術も収集の対象となり、シュルレアリスム、アンフォルメル、アメリカ現代美術の充実した作品群が加わるようになった。貴重な現代美術が展覧できる場というだけでなく、「ウンベルト・ボッチョーニとアンドリュー・ワイエス遠く離れている二つの星」(1969)のように、所蔵コレクションを用いた意外な組み合わせによる2人展を企画するなど、実験的な試みでも注目を集めた。

 他方、地方在住の現代美術家たちを鼓舞するきっかけとなったのが開館と同時に創設された長岡現代美術館賞である。同賞は、国内外の美術関係者が招待作家の中から公開審査によって受賞者を選ぶという選考システムを採用し、その斬新さで開催のたびに話題を呼んだ。第一回目のグランプリは岡本信治郎(審査員は土方定一、針生一郎、中原佑介)。その後はアメリカ、イタリア、イギリス、ドイツといった国外の作家も選考対象となり、国際色豊かな面子の中からエンリコ・カステラーニ、山口勝弘、関根伸夫といった実力者たちが各回の栄冠を手にした。78年、大光銀行の乱脈融資事件を機に大光コレクションは売却され、美術館は79年に閉館。散逸したコレクションは新潟県立近代美術館をはじめ日本各地の美術館が継承している。

文=中島水緒

『長岡現代美術館賞回顧展1964-1968 時代をかけ抜けた美術館と若く熱き美術家たち』(新潟県立近代美術館編、新潟県立近代美術館、2002)