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戦争画

War Paintings

 戦争を題材とする絵画群。その制作は、日中戦争からアジア太平洋戦争期にかけて本格化した。戦闘場面、兵士、戦艦などを大画面に写実的に描いたものが中心だが、戦争を直接の主題としない作品群も含められることがある。例えば過去の合戦や国史を主題とする歴史画、出征した父が不在の家族像を描いた「銃後」の作品、占領地の情景など。媒体は洋画が多い。他方、日本画のうちには国威を示唆する旭日、富士山などを描いた象徴的な意味による戦争画が存在する。

 自発的に戦地に赴いて戦争画を描いた画家、陸海軍から公式な依頼を受けた従軍画家・報道班員など様々な立場があったが、従軍画家の戦地遠征が始まったのは1937年の日中戦争の勃発とほぼ同時期である。まずは1938年、陸軍のひとつである中支那派遣軍の報道部が中村研一、向井潤吉、小磯良平、脇田和といった洋画家たちに戦争記録画の制作を公式に委嘱、同年には「大日本陸軍従軍画家協会」も結成される(翌年「陸軍美術協会」に発展解消)。この動きを受けて海軍も石井柏亭、藤島武二、藤田嗣治らに戦争記録画の制作を依頼した。

 39年には従軍画家の数が200名を超え、この頃から軍の委嘱による公式の戦争画が「作戦記録画」と呼ばれるようになった。終戦までに描かれた作戦記録画の総数は約200点と言われる。完成した作戦記録画は軍に納められ、「第一回聖戦美術展」(1939)、「大東亜戦争美術展覧会」(1942)、「陸軍美術展」(1943)などの美術展で展示された。敗戦後、作戦記録画の主要作品はGHQによって収集され、1951年のサンフランシスコ平和条約調印の後にアメリカに送致される。70年に「無期限貸与」という名目で日本に返還され、現在に到るまで東京国立近代美術館が153点の管理に当たっている。政治的な事情から一括公開は難しいものとされてきたが、同館の常設展では少数点ずつ展示する機会を設けており、近年の戦争画研究の進展に寄与している。

文=中島水緒

『改訂版 戦争と美術1937-1945』(針生一郎ほか編、国書刊行会、2016)