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グループ・ゼロ

Group Zero

 1957年、ドイツのデュッセルドルフで結成された前衛美術のグループ。結成当初のメンバーはオットー・ピーネとハインツ・マック。当時のドイツには前衛美術を支援するギャラリーはほとんどなかったため、彼らは自分たちのスタジオで一日限りの「夜の展覧会」を連続開催してじょじょに認知度を高めていった。60年にギュンター・ユッカーが参加。以降、この3名がグループの中心人物として活躍する。彼らはいずれも、アンフォルメル、タシスムといった前世代の成果を放棄して新しい視覚言語を発明する必要性を強く感じていた若い芸術家であった。そこで「ゼロ」というグループ名には、旧来の美術の価値観を白紙の状態に戻し、すべてをゼロからはじめるという意味合いが込められた。

 作品には光、音、運動といった変化を伴う要素が取り込まれ、工業製品をはじめとする新素材が用いられた。その背景には、戦後に著しい発展を遂げた科学技術、世界初の人工衛星打ち上げ(1957)によってもたらされた宇宙への関心があったと考えられる。代表的な作品は、ピーネによる機械仕掛けのインスタレーション《光のバレエ》、反射鏡などを砂漠に設置するマックの《サハラ・プロジェクト》、釘を打ち込んだユッカーの絵画作品のシリーズなど。64年の「ドクメンタ3」では、発光する構造体で構成されたインスタレーション《光の空間―フォンタナへのオマージュ》をピーネ、マック、ユッカーの3人が共同制作した。

 何よりもゼロの功績は、機関誌『ゼロ』の刊行や展覧会の開催を通じ、アーティスト間の国際的なネットワークを形成したことである。フランスのヌーヴォー・レアリスム、オランダの「ヌル」グループ、イタリアの「アジムート」のメンバーであるピエロ・マンゾーニやエンリコ・カステラーニ、日本の具体など、同じような問題系を追求する各国の美術家たちとゼロのメンバーは積極的に交流した。グループ自体は66年に解散するが、50年代末から60年代にかけての前衛美術シーンが国・地域・グループの枠組みを越えて活性化した一要因として、ゼロのボーダーレスな活動があったことは看過できない。

文=中島水緒

参考文献
『Reflexionen ひかり いろ かたち』(兵庫県立美術館、ドイツ文化センター・大阪編、兵庫県立美術館、2011)
Zero, the international art movement of the 50s and 60s(Dirk Pörschmann, Margriet Schavemaker, Martin-Gropius-Bau, Berlin, 2015)