2019.5.11

アートフェアの常識を覆す。ニューヨークで開かれた「Object & Thing」とは何か?

5月3日〜5日の「フリーズ・ニューヨーク」会期中、ニューヨーク市内では並行して、複数のアートフェアが開催された。そのなかでも、ブルックリンで開かれたフェア「Object & Thing」が、「アートフェアビジネスの常識を覆す」と会期前から話題を集めていた。同フェアのディレクターのアビー・バングザーに、会場で詳しい話を聞いた。

文=國上直子

「Object & Thing」展示風景。大きな窓から自然光が降り注ぐ会場 Courtesy of Object & Thing, Photo by Pernille Loof
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出展料ゼロのアートフェア

 「Object & Thing」の最大の特徴は、出展料が無料という点である。ディレクターを務めるアビー・バングザーは、フリーズ・アートフェアのアメリカ・アジア部門のアートディレクターを過去に務めた人物。アート関係者から、フェアに付随する経済的・人的負担について、詳しく聞く機会が多かったバングザーは「オルタナティブなアートフェアを立ち上げたい」と考えるようになったという。

 焦点を当てたのは、アートとデザインの中間に位置する、実用的な機能があり、かつアート性も高いような作品だった。こうした「オブジェクト」は、マーケットにおいて「アート」の下層に位置付けられ、価格帯も1000ドルから5万ドルというレンジに留まるのが一般的で、出展料の高いアートフェアには不向きなジャンルとして、これまで見なされてきたという。

「Object & Thing」には、ブラム&ポーやハウザー&ワースなどのメガギャラリーから、小規模ギャラリーまで参加した Courtesy of Object & Thing, Photo by Pernille Loof

 オブジェクトに特化したフェアを成立させるために、バングザーが考えたのは、出展料を撤廃することであった。その代わり参加ギャラリーは、売り上げに応じて「Object & Thing」の主催者側にコミッションを支払う。会場費は主催者が持ち、出展者は作品の輸送費と保険料のみを負担する。従来のフェアと比べ、参加者の負担は圧倒的に少ない。このモデルを用いることで実現したかったのは、「主催者が出展者と同じリスクを取ること」。「作品を売る」という目的を両者が共有することはバングザーにとって非常に重要だった。

 このアイデアをもとに諮問委員会を立ち上げ、出展を依頼したいギャラリーのリストを作成。去年の秋頃に、ギャラリーへのコンタクトを開始した。依頼を受けたギャラリーはすべて、この新しいアートフェアのビジネスモデルに賛同し、即フェアへの参加を決めた。特に規模の小さいギャラリーからは、非常に感謝されたという。「Object & Thing」の噂を聞いた、他のギャラリーからも問い合わせがあるなど、業界内での反応はとても好感触だったそう。

ブースのない会場

ガエタノ・ペッシェの花器

 会場となったのは、ブルックリンのブッシュウィックにある、もとは工業用建物だったイベントスペース「99 Scott」。初回となる「Object & Thing」には、世界各国から32のギャラリー、200のオブジェクトが集まった。

 展示の大きな特徴は、ブースが存在しないこと。作品の分類はギャラリーごとではなく、椅子、器、花瓶などオブジェクトの種類毎に大まかに分けられている。さらにアーティスト名が書かれたラベルも見当たらない。「〇〇ギャラリーだからこう」「××の作品だからアート」というような、固定観念やヒエラルキーを取り払った状態で、来場者に作品を見てもらうことを狙い、この展示方法を選択したという。

ディレクターのアビー・バングザー(右)と、会場・展示デザインを担当したアート・ディレクター兼デザイナーのラファエル・デ・カルデナス。中央の椅子は、ルーシー・ダッドの《Lady Long Gone》(2016) 
Courtesy of Object & Thing, Photo by Pernille Loof

 この展示スタイルに合わせたプレゼンテーションを考えるのは、出展者に取っても新しいチャレンジだったという。アーティストのルーシー・ダッドの例で言うと、通常のフェアでギャラリーが彼女の作品を紹介する場合は、ペインティングと椅子をセットにして展示することが多いそうだ。しかしバングザーは、このフェアに出展すべきは彼女の椅子の作品であることを、ギャラリーに強調したという。これまでの「フェアの常識」をいったん脇に置いて、展示作品を選抜するのは、多くのギャラリーにとっても刺激的な作業となったようだとバングザーは話す。

常駐ギャラリースタッフもゼロ

セールスアシスタントが、ギャラリースタッフの代役とも言える

 従来のフェアでは、期間中ブースで待機するスタッフの確保も大きな負担となっていたが、「Object & Thing」では、ギャラリースタッフが会場にいる必要のない点も特徴。会場には「Object & Thing」のセールスアシスタントが8名配置され、作品に関する質問に対応、購入手続きのサポートを行っている。

このコーナーは、複数のギャラリーからのオブジェクトが組み合わせられている。ギャラリー毎の枠組みを超えてプレゼンテーションを行うことは、ギャラリーにとって新鮮な試みだったという

 各セールスアシスタントはiPadを携帯し、会期に合わせて公開されたオンラインカタログサイトにすぐアクセスすることができるようになっている。サイトでは、作者、値段、マテリアル、取り扱いギャラリーといった基本情報はもちろんのこと、50ワード程度の作品解説も掲載されている。そのまま画面上から作品購入もできる。ギャラリースタッフや作品ラベルの不在は、このオンラインカタログが補完する構成となっている。

会場風景 Courtesy of Object & Thing, Photo by Pernille Loof
メインエリアの隣の部屋には、「The Shop」というコーナーが設けられ、生活雑貨や本を取り扱う9店が集った。価格帯は100ドル前後からそれ以下のものと手頃に設定してある。サンフランシスコに展開をしている日本の「プレイマウンテン」も出展。VIPオープニングで展示商品が売り切れる店もあったという

「Object & Thing」の今後

 出展者・来場者の反応は上々、売れ行きも好調で、バングザーは、すでに来年の開催も視野に入れている。併せて、オンライン販売を通年で行うことも検討中だという。オープニングには、他の主要アートフェアのディレクターたちが多く足を運んだそうで、業界内の関心度の高さがうかがえる。

 「これからギャラリーたちは、従来のアートフェアから『Object & Thing』のようなフェアに、ビジネスの場をシフトしていくと思うか」という質問には、「それはそれぞれのギャラリー次第になると思うが、『Object & Thing』のような形態は、ギャラリーにとって、非常にいいオプションのひとつになる」とバングザーは答えた。

 従来のフェアが持つ問題点の克服、テクノロジーの活用、洗練されたキュレーション、そのそれぞれに、主催者のフェアにかける熱意と、売る側・買う側への深い配慮が感じられた。「主催者が出展者とリスクを共有する」ことが、フェアの質を劇的に向上させることを「Object & Thing」は証明したように見える。同フェアが、業界内にどのような改革をもたらすのか、今後が楽しみである。

会場となった「99 Scott」の中庭。他のフェアから離れてはいるが、アートフェア関係者が多く訪れた Courtesy of Object & Thing