デザインが新たな思考と方法を生み出す。クリエイションギャラリーG8で個展開催の菊地敦己インタビュー

亀倉雄策の生前の業績をたたえ、グラフィックデザインの発展に寄与することを目的として設立された「亀倉雄策賞」。2020年、その第22回の受賞者に選ばれたのがグラフィックデザイナー・菊地敦己だ。この受賞を記念し、東京・銀座のクリエイションギャラリーG8で「菊地敦己 2020」が開催される。同展の展示やグラフィックデザインの果たす役割について菊地に聞いた。

聞き手・構成=編集部 写真=稲葉真

菊地敦己、東京・青山の事務所にて
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──第22回亀倉雄策賞の受賞おめでとうございます。まず、受賞作となった展覧会図録『野蛮と洗練 加守田章二の陶芸』(菊池寛実記念 智美術館)について聞かせてください。

 これまでの亀倉賞受賞作品には大きな規模のプロジェクトや展示作品など、話題性が高いものが多かったので、1冊の小さな本で受賞できたことは嬉しいですね。実際的というか、日常の仕事を評価してもらえた感があって。

 この展覧会を開催した智美術館は、虎ノ門にある現代陶芸を中心にした美術館で、僕はこれまでにも3つの展覧会のデザインを担当しています。キュレーターも写真家も同じチームで。いつも、ざっくばらんに話し合いながら仕事をしています。この図録も、企画の段階からお話を伺って、美術館の地下室で撮影をして、そういう制作過程の現場で雑談をしながら組み立てていった感じです。

 最近は、この本のような小型の図録を提案することが多いのですが、展覧会図録のような予算に限りのある本の設計は、寸法とページ数と造本のバランスをどのように取るかに苦心しますね。加守田章二の作品には、はっきりとした変遷があるので、それぞれの作品を並列して自立的に見せることを心がけました。美術館で一つ一つをじっくりと鑑賞するような体験を図録に持たせたかったんです。そのために、サイズを小さくしてページ数を増やし、余白をしっかりとった構成にしています。

『野蛮と洗練 加守田章二の陶芸』(2019、菊池寛実記念 智美術館)

──亀倉賞の受賞を記念して、展覧会「菊地敦己 2020」が、クリエイションギャラリーG8で開催されます。どのような展示内容を構想していますか?

 これまで僕の個展は、視覚言語の実験としてつくった展示用の「作品」を見せることが多かったんですが、今回の展覧会は、グラフィックデザイナーとしての日々の生業を羅列してみようと思っています。

 自分の過去の仕事の痕跡をわざわざギャラリーに展示するのは、ちょっと恥ずかしい気もしますけど、今のグラフィックデザイナーの実態を見せるという意味では、良い機会かと思いまして。ひとつの実例として。あと、僕はチラシの裏面とか、パッケージの注意書とか地味なところを一生懸命つくるタイプなので、そういった細部も見てもらえると嬉しいですね。

 あまり自分のことは振り返りたくないんですが、総覧するとなにかしらの傾向は見えるかも知れません。スカスカだったらどうしよう、という不安もありますが(笑)。

 「青森コンプレックス」展における菊地敦己のインスタレーション「重さと軽さ」(2016、青森県立美術館)

──グラフィックデザインというジャンルにおいて、菊地さんが現在感じている可能性や課題を教えてください。

 紙が情報媒体の主流ではなくなって、現在のグラフィックデザインは、ペーパーメディアだけでなく、ウェブを始めとするスクリーンにも領域が広がりました。紙だけでデザインが展開されることは少なく、色々な媒体で使われることが前提になっています。例えばウェブ上で表示するときは、デバイスによって大きさが変わるわけで、サイズが可変しても機能することを考えながらデザインする必要があります。チラシでも大型看板でもスクリーンでも、同一イメージをどのように展開できるかを考えながら、デザインするわけです。

 紙のデザインの場合は、支持体の寸法や比率が固定されているので、その中でどう定着させるかが大切でした。定着力は、視覚的な強さになるので重要なものですけど、複数のメディアの中でどのように実現していくのかが難しい。だけど、そのあたりがいま一番面白いところだと思います。僕の近年の興味は、「静的なかたちを動的に組み合わせながら、どのように定着状態をつくるのか」にあります。つまり、二次元上に動くことが可能な空間を設定して、その中でオブジェクトが関係するときのルールをつくるということなんですが……。

 言葉にするとややこしいですね。作例を見てもらえれば、単純なことなんです。最近の仕事だと、金沢21世紀美術館の「現在地」とか、近々東京・立川にオープン予定の「PLAY!」のVIとか。一応止まっているけど動きそうに見えるでしょう。

「現在地:未来の地図を描くために」のツール(2019、金沢21世紀美術館)
東京・立川にオープンした複合施設「PLAY!」のロゴ

──デザイナーの仕事はクライアントワークも多いわけですが、クライアントから提示される要望や目的にはどのように向き合っているのでしょう。

 若い人たちと話していると、デザイナーという職業に悪いイメージを持っている人が多くて(笑)。クライアントに対してプレゼンテーションが通らないとか、急に無茶なデザイン変更を要求されて深夜まで働く、といったようなダークグレーのイメージですね。そういう業界が全くないとは言いませんけど、僕の場合は、編集的な立場でクライアントと相談しつつ、共同制作のようなかたちで進めることがほとんどです。

 美術館の立ち上げのような仕事だと、クライアントだけでなく建築家や施行会社や外部の人たちと一緒にすすめていくわけですから、「お金を払う人ともらう人」という単純な主従関係ではありません。それぞれの技術を並列に考えて、組み合わせていかないとうまくいきませんから。

 どっちかと言うと、僕が自分でやり直したくて時間をかけることも多々あって、クライアントには「もういいから早くください」と急かされてますね(笑)。好きでやっているんです。クライアントに目的があるように、デザイナーである僕にも作意があるので、その接点を探していくという感じですね。何かしら開発しようと思うと、時間かかってしまうんです。

 新しいデザインを開発するより、すでにあるデザインイメージを運用することを仕事とするデザイナーもいるし、それはそれで必要なことだと思います。でも僕自身は、デザインによって新しい考え方や方法を探すことにおもしろみを感じるし、極端な言い方をすると、クライアントがいなくてもやりたいことはあります。

VI、サイン計画を手がけた青森県立美術館の外観(2006)

──実際の現場において、菊地さんはどのようなコミュニケーションを心がけながらデザインを進めるのでしょうか?

 平凡な答えになってしまいますけど、嘘をつかないということですかね。ご都合主義のデザインで内容を操作すると、結果的にはクライアントにも不利益になってしまいます。

 例えば、チラシなんかで文字を読みやすく組むと、おかしな文章は悪目立ちします。そういった場合は、文章自体を直した方がいい。デザインで隠すのでなく見えるようにして、改善した方がいいですよね。商品パッケージなんかをつくるときも同じです。商品の問題は、商品を直さないと良くなりませんから。デザインの作業をしながら、細かいことブツブツ言うものだから、めんどくさがられることもありますけどね(笑)。

 作品でも商品でも、内容と形式が一体になって実現するものなので、内容は大事です。とは言いつつも、僕の興味は内容よりも形式の方にあるんですけどね。デザインの仕事は、基本的に内容はクライアントから提供されるものなので、それは僕にとってはありがたいことなんです。

ガーディアン・ガーデンが主催する写真とグラフィックのコンペティション「1_WALL」のポスター(2018、リクルートホールディングス)

──菊地さんにとってのデザインのおもしろさは、デザインそのものが持っている構造ということですね。

 デザインでメッセージを伝えることを重視するデザイナーもいるでしょうし、社会広告的なデザインが力を持っていた時代もありました。でも、僕は内容や目的のためだけにデザインがあるのだとは思っていません。小説に例えるなら、ストーリーよりも文体に興味があります。「デザインで社会を良くする」といったような漠然とした物言いも、僕はピンとこないんです。

──しかしながら、結果的に自身のデザインが社会に影響していると感じることは多いのではないでしょうか?

 どうなんでしょう。狭い範囲で言えば、抑揚の少ない文字組みとか、ちょっと脱臼したようなアンバランスなレイアウトとか、単純な色面構成とか、そういうグラフィックデザインの流行の一端は担っているかもしれません。

 でも、積極的に社会に影響を与えようとしなくても、デザインは社会の構造と呼応するところがあると思うんです。例えば、権力構造が強い社会では、シンメトリックで安定した構造のデザインが多いですよね。いまの若い世代のデザインは、未完成のような不安定なものが多いと良く言われますが、僕はそこに可能性があると思っています。集約された単一の意味に収まらない、矛盾を含むことを良しとする傾向を感じるので。もちろん、ただ要素がバラバラとしていればいいわけではなくて、小さな要素のたくさんの関係が集合して、複雑な体系として立ち上がってくると、かなり面白いことになるのでないかと思っています。

 昔は社会が大きくて、情報が一元化されていましたが、いまは無数の小さな社会が同時に存在しています。だから、いわゆる社会という設定自体が曖昧で現実味を欠いているように感じていますね。

ファッションブランド「サリースコット」のポスター(2018、ダイドーフォワード)

──大きな社会構造との共鳴という側面もあるいっぽうで、デザイナーの個々の身体もデザインには関係しているのでしょうか?

 関係しているでしょうね。DTP以降のグラフィックデザインは物に依存しなくなったことで、実空間でのサイズに依拠して制作することが少なくなりました。その揺り戻しとして、身体感覚に回帰している流れもあると思います。拠り所というか、何かしら基準になるものは必要ですから。

 僕の場合、身体的な尺の感覚みたいなものがあるんです。定位というか、基準となる「間」があって、それに対して押すか引くかということを考えます。

菊地敦己、東京・青山の事務所にて

──最後に、これからデザイナーを目指そうとする人に向けて、菊地さんから伝えたいことがあれば教えてください。

 デザイナーという職業自体が、いま変わり目にあります。僕自身もDTPが主流となってからのデザイナーで、先行世代とは環境も考え方もまったく違いました。僕が仕事を始めた90年代半ばは、制作ツールが変わる節目だったわけですが、いまはメディア自体が変化しています。

 だから、いま活躍しているデザイナーを目標にしないほうが良いと思います。もちろん、過去のデザインには優れたものもあるし、学ぶべきことは多いと思いますが、これから目指すべきデザイナー像は、いまのデザイナーのなかには存在しないと考えたほうがいいです。もしかしたらその仕事は、「グラフィックデザイナー」とはもう呼ばれないかもしれない。

 自分にしても、3年後に今とまったく同じ仕事をしているとは思いません。先が見えないこの状況自体が、僕は、おもしろいわけですけど。