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2019.12.1

建築家として、館長として。青木淳は京都市京セラ美術館をどこに導くのか?

2020年4月11日にリニューアル・オープンを迎える京都市京セラ美術館(京都市美術館)。この改修を手がけ、館長に就任したのが青木淳だ。青木はなぜ館長を引き受けたのか? そして美術館をどこへ導くのか? 竣工したばかりの館内で話を聞いた(開館は5月延期)。

聞き手=橋爪勇介(ウェブ版「美術手帖」編集長)

青木淳 撮影=原祥子
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 いまからおよそ80年前の1933年、日本で二番目の公立美術館として開館した京都市美術館。この美術館が2020年、「京都市京セラ美術館」として新たな門出を迎える。

 同館では、2017年より大幅な改修工事を実施。帝冠様式の重厚な本館の雰囲気を残しつつ、ガラスのファサード「ガラス・リボン」や新館「東山キューブ」など、様々な改修を経て、現代の美術館としてアップデートされた。 

 この改修工事を指揮したのが、青森県立美術館などの設計で知られる建築家・青木淳だ。青木は2019年4月1日付で京都市京セラ美術館の新館長にも就任。リニューアルを手がけた建築家が館長となるのは異例のことだ。青木はなぜ館長職を引き受けたのか? またこの美術館をどこに導こうとしてるのか? 竣工した館内で話を聞いた。

正面から見た京都市京セラ美術館 撮影=来田猛 

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きっかけは「PARASOPHIA(パラソフィア)」

──まずは建築家としての青木淳さんにお話を伺います。そもそも、改修前の京都市美術館についてはどのような印象を持たれていたのでしょうか?

 僕は小学校のある時期、大阪の豊中にいたんですね。京都市美術館は僕が見た初めての美術館で、「美の殿堂」という印象だった。「重くて暗い」イメージです。どちらかというと「博物館」のイメージに近いかな。

 それ以降、僕は東京に移ったから、京都市美術館をちゃんと見ることはなかったんです。転機は2015年の「PARASOPHIA(パラソフィア):京都国際現代芸術祭」(*)なんですよ。あの時たまたまここに来て、展示を見て、「これいい美術館じゃん」って思った。

青木淳 撮影=原祥子

──「再発見」したようなものですね。

 PARASOPHIA以前にもちょっと立ち寄ったことはあったんだけど、全館を使った状態で見たことはなかったんですよ。PARASOPHIAでは、大陳列室で蔡國強さんがインスタレーションを展示していて、名和晃平さんが美術館の東と西の玄関にサインの役割を持つ作品を出してましたよね。東玄関のドアは開け放たれていて、そこにカフェスペースがあったから来館者がコーヒーを飲んでいるっていう状態。「え、こんなにいい空間があるんだ」ってそのとき思ったんです(笑)。

PARASOPHIA開催当時の京都市美術館。中央のサインは名和晃平&SANDWICHのデザインによるもの 撮影=編集部

──PARASOPHIAで京都市美術館はフル活用されていましたよね。美術館の過去の歴史を紐解く作品もありました。

 そうそう。南玄関の地下では、この美術館の歴史のスライドショーを見せてたりね。もうとにかく全体が見えて、「現代美術でも全然OKじゃん」と思える空間だったわけです。

 それでそのあとに美術館改修のプロポーザル・コンペの要項が出た。これはある意味簡単で、「いまのままでいいんだから、なるべく現状を維持してリニューアルすればいい」と。ただひとつ大きかったのは、「東西の玄関を開けて通過できるようにしなきゃいけない」ということ。これはPARASOPHIAの影響が大きかったですね。それだけで美術館の印象が大きく変わるんだから。

東エントランスの扉が開いた状態 撮影=来田猛

──PARASOPHIAで東山が館内から見えていたことは、リニューアルにも大きな影響を与えてるんですね。

 そうですね。それができたらほとんどOKみたいな(笑)。

 美術館の歴史は、この80年で大きく変わりましたよね。80年前は限られた人、特権階級が見にくる、特別な場所だったわけです。それが時代の変化とともに、みんなが見にくる場所に変わってきたでしょ。そして現代は「開かれた」──という言い方でいいと思うけど──美術館になってきた。

 エントラスホールのそばにミュージアム・ショップがあるのが当然だし、カフェも必要。だけどこれまでの京都市美術館にはそういう空間がなかったわけです。エントランス(西玄関)は入ったらすぐ階段だった。格好いいけど「溜まり」がないですよね。それを今回の改修ではロビーをつくって、ショップやカフェも入るようにした。これは、美術館へのアクセスを良くするという機能を持ちます。そうすると、西玄関の下にエントランスをつくるしかないんです。そこを神宮道とスロープでつなぐと。

新設されたスロープ状の「京セラスクエア」 撮影=来田猛

──ビジョンが最初から見えていたわけですね。

 PARASOPHIAのおかげでね。あれを見たから、この美術館の良さと課題、そして求められるプログラムも見えた。だからプロポーザルの答えはひとつしかないと。だから逆に案を出すときすごい不安だったんです。みんな同じ答えだから、勝てないかもしれないと(笑)。

青木淳 撮影=原祥子

美術館は使われてるときしか空間じゃない

──しかし見事にコンペを勝ちとりました(笑)。青木さんにとって、美術館建築の設計は一般の建築とどう違うのでしょうか?

 一番大きな違いは「美術館には展示室がある」ということですね。皆さん、この展示室を空っぽな状態、何も展示されていない状態で見ることはまずないでしょ。ということは、僕たち建築家は、設計したありのままの状態を見ていただくことがないんですよ。使ってる状態でしか見てもらうことはない。

 でも建築って全部そうで、使われている状態が見られる。美術館はとくにそれがはっきり現れていて、使われてるときしか空間じゃないんですよ。僕は磯崎新さんのところで働いていたけど、最初は美術館の設計はやりたくないなと思ってました。美術は好きだったけど、美術館って設計しても、その空間が目的じゃなくて、使われた状態が目的だから。

旧大陳列室の中央ホール 撮影=来田猛
南回廊2階の展示室 撮影=来田猛

──とはいえ、青木さんの青森県立美術館もそうですが、いまでは世界的にも有名建築家が美術館をつくるというのはスタンダードになってきていますよね。

 建築家は大きくふたつのタイプ──「美術館は展示室が重要」という人と「展示室は重要じゃない」という人に分かれるんですよ。前者は、美術と空間がどういう関係にあればいいかのかというところから建築を考える。いっぽう後者は「展示室は学芸員の言う通りにつくればいい。重要なのはロビーだ」と考える。「現代の美術館は建築家がやりますよね」って言われたときに、後者の場合が意外と多いんですよ。

──青木さんは前者ですよね?

 僕は水戸芸術館で現代美術ギャラリーの設計を担当したのですが、その頃は中原祐介さんが芸術監督で、長谷川祐子さんが学芸員として在籍していた時代。そういう人たちと喧喧囂囂、どういう空間がいいのかを話しあってつくった。そういう意味で、あの経験はすごく大きい。水戸芸術館現代美術ギャラリーの空間は、日本で「ホワイトキューブ」をちゃんとした意味で初めてつくったケースじゃないかと思いますよ。

 それが1990年のことで、それ以降、美術館とか美術に関わる仕事がしたいなあと思ったのね。だけど美術館の仕事ってこないんです。建築家ってつねにそういうもので、「これやりたい」って思ってもそうそうこない。そこから10年後の2000年に、やっと青森県立美術館で選ばれたんです。だからあのときは、いかに水戸芸術館で学んだことを考え直すかということを考えていた。そこで思ったんです、「美術館はもうホワイトキューブではないな」と。

 リニューアルでは京都市美術館創建当初の意匠が多く残された 撮影=来田猛

 「ホワイトキューブ」っていうのは、アーティストにとっては安全な空間。空間との格闘がないですよね。むしろ元発電所のテート・モダン(ロンドン)とか、元学校のMoMA PS1(ニューヨーク)のほうが面白かったりするわけです。みんなもともと違う機能を持ったもので、ホワイトキューブじゃない。

 だから青森のときは、どうやって美術館をただのホワイトキューブじゃない空間にするかということ考えた。それが10年間の差だと思います。

重厚な雰囲気の階段 撮影=来田猛

 青森の竣工は2005年。またそれから10年経って、今度は京都市京セラ美術館でしょ。この10年の間に、時代はまた変わってきた。美術館の展示室は重要だけど、むしろ「美術館って何」っていう、もっと大きい問題が出てきたんですよね。

 さっき言ったように、美術館は本来、特権階級のための美の殿堂だった。その後は、みんなが美術をわかるようにするための啓蒙教育機関として機能してきた。いまの美術を考えたとき、そういう美術館もあっていいんだけど、いっぽうでは日常生活そのものから湧いて出てくる文化そのものをアートとして扱うやり方もあり得ると思うんです。

西広間の天井 撮影=来田猛 

 京都という街は、素晴らしい生活文化を持っているところ。古くはお茶であったり、現代ではアニメーションであったり、いろんな生きてるものがある。そういうものを分け隔てなく扱っていくという意味で、美術館を「開かれた美術館」としてとらえ直したほうがいいだろうと思ったんです。美術館の展示室だけが重要というのではなく、美術館という与えられた空間全体にうまく「気」が回ること。そしてそれが外とつながることがすごく重要。

 もともとあったものを否定するんじゃなくて、あったものに新しいものが重なるようにつくっていくことができないかなと、努めて優しい方法のリノベーションを目指しました。優しいリノベーションは地味だからあんまり評価されないけど、これからは目立つことをやるよりも、いつの間にか変わっちゃってたっていうほうが面白いと思うんですよね。この美術館では、美術館という制度のための空間がどうあればいいのかなっていうことを考えたんです。

東山キューブの通路部分。左側には動物園が見える 撮影=来田猛

「館長」ではなく「ディレクター」でありたい

──制度設計のことまで考えてらしたんですね。では館長になろうと決めた理由はなんだったのでしょうか?

 僕が手を挙げたわけじゃないんですよ。2015年くらいからずっと、この建物をどう改修していくのがいいんだろうかと考えてきたでしょ。それまであったものを壊すわけじゃないけど、新しいことをやらないわけじゃない。そういう微妙なバランスで建築のことを考えると、それは当然ソフトにも絡むんですよ。基本、建築はハードだから、ソフトから要望を聞いてつくるんだけど、要望を返すこともできるでしょ。「なんでそうなの?」とか「こういう空間だからこういうことができるんじゃない?」とか。

 そういうやりとりを見てくれてたから、館長の声がかかったんだと思うんです。もちろん最初は「とても僕の仕事じゃないからやれません」とお断りしたんですね。でもある人が「やれると思う」と言ってくれたから受けることにしたんです。

撮影=原祥子

 じゃあ館長になって何をするのか。京都市京セラ美術館は、いままでの美術館とは違う美術館に変わろうとしている。だから、いままでの美術館の中の人はやりにくい。いっぽうで新しく入った人たちは前の美術館のことをよく知らない。既存部と新しい部分をどう固めるのか──建築と同じ問題がソフトでも起きてるなと思ったんです。だからこれについてはハード・ソフトの区別なくやってみれば役に立つかもしれないと。僕が館長になるってことは僕にとって冒険かもしれない。京都市にとってはもっと冒険かもしれない(笑)。

──冒険かもしれませんが、希望でもありますよね。いま「ハードとソフトの区別なく」と仰ったのが印象的でした。新館として「東山キューブ」ができて、現代美術もやっていこうというのは、これまでの京都市美術館にはなかった挑戦です。

  僕は自分を「館長」ではなく「ディレクター」だと思ってるんです。僕が展覧会の企画をするわけじゃないし、僕が発案するわけじゃない。関わってくれる人たちみんなが「自分はこうしたい」「この美術館はこうしたらいいんじゃない」というものを持っていて、それがぶつかる。そのぶつかるものをまとめる、いい方向になるようにしてくっていうのがディレクターの仕事でしょ? 

右が新館の東山キューブ 撮影=来田猛
東山キューブの展示空間 撮影=来田猛

──海外では館長=ディレクターですが、日本ではあまりそういう雰囲気はないですね。先ほど、「開かれた美術館」と仰いましたが、これはソフト面でも開かれていくことを目指すというお考えですか?

 そうですね。展覧会だけじゃないことをしたい。できたら京都の生活のなかにあるものをここで展開できる方法を探したいと思っているんです。この美術館は1000平米の展示室が5つあって、ひとつが常設展。そこを公募展や共催展などでも使います。ただ、この1000平米というのは広いんですよね。そうではなく、もっと小さな空間で、テンポラリーかつスピード感のあることがやれないかと考えているんです。

 ただ、僕が館長として「これやりなさい」と言うわけにもいかない。スタッフみんなが面白いと思ってくれれば上手くいと思います。

東山キューブの外壁は光によって様々な表情を見せる 撮影=来田猛

──最後に、青木館長が考える「いま、あるべき美術館像」を教えて下さい。

 やはり「つくる現場に近いこと」だと思います。作家がアトリエでつくったものがあって、それを美術館に持ってくるというのがこれまでだった。そうではなく、作家がこの空間でつくって、初めて生まれたものを扱うようなアクティブな場所になればいいと思います。

 アメリカの美術館の人と話をすると、いかに市民と美術館の活動を一体化できるかを頑張っているんです。そうじゃないとお金が集まらないというのもあると思うけど、それが美術館の本来の姿かなと思うんですよね。だから僕はつくる現場と市民を近づけたい。それが美術館のやることかなと。それは決してアグレッシブな話ではなく、ちょっとやり方を変えれば実現できる。そのきっかけを、この美術館でつくれたら面白いですよね。

青木淳 撮影=原祥子

 

*──「PARASOPHIA」は、京都市美術館を中心とする市内各所で行われた芸術祭(2015年3月7日〜5月10日)。アーティスティックディレクターを河本信治が務め、ウィリアム・ケントリッジ、蔡國強、田中功起など国内外36組のアーティストが参加した。