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2021.5.5

アイ・ウェイウェイの作品はM+で展示できるのか? 香港美術館の自己検閲を問う

今年年末に開館予定のアジア最大級のヴィジュアル・カルチャーのミュージアム「M+」(エムプラス)。そのコレクションに含まれるアイ・ウェイウェイらによる政治的に挑発的な作品をめぐり、香港の親中派メディアや議員と民主派のあいだで大きな論争が起こっている。美術館の自己検閲について、今回の事件の経緯を振り返りながら現地の関係者に話を聞いた。

文=王崇橋(ウェブ版「美術手帖」編集部)

M+ Photo by Kevin Mak (C) Kevin Mak Courtesy of Herzog & de Meuron
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 今年の年末に開館を予定しているアジア最大級のヴィジュアル・カルチャーのミュージアム「M+」(エムプラス)が、3月中旬にプレス関係者を招いた内覧会を開催した。そこで、ピューリッツァー賞を受賞したフォトジャーナリスト劉香成(リュー・ヒョンシン)が撮影した1989年の天安門事件の写真や、中国の反体制派アーティスト、艾未未(アイ・ウェイウェイ)が北京の天安門広場に向けて中指を立てた写真など政治的に挑発的な作品の展示予定について、同館の館長のスハンニャ・ラッフェルはメディア陣に対し、「問題なくそれらを展示します」と発言した

 この発言は、後に「文匯報」や「大公報」など香港の親中派のメディアをはじめ、親中派の議員らから強く批判を受ける。親中派は、同館コレクションの基礎となっている、スイス人コレクターのウリ・シグが寄付した作品群には卑猥なヌード写真や国家指導者に対して無礼な作品が含まれていると指摘。M+が公金を使って作品を購入するときの透明性の欠如や、コレクションが伝える価値観について疑問を呈するという事態となった。

 これを受け、同館を管理する西九文化区管理局のチェアマンであるヘンリー・タンは3月29日にメディアに対し、「M+は、香港で活動する公共の博物館として、基本法、香港特別行政区の法律、国家安全維持法を遵守し、最高レベルの職業的誠実さを維持する」としつつ、アイの作品は展示予定がないと、態度を逆転させた。

 昨年6月末、香港特別行政区では国家安全を維持するための「香港国家安全維持法」が施行。当時、「美術手帖」の取材に対し、香港のアーティストたちはギャラリーや美術館が自己検閲するのではないかという懸念を示していた。本稿ではM+の設立背景やコレクションの由来、そして今回の事件の経緯を振り返りながら、香港美術館の自己検閲について現地の関係者の話をまとめてお届けする。

M+の外観 Photo: Virgile Simon Bertrand (C) Virgile Simon Bertrand Courtesy of Herzog & de Meuron

世界トップ5の美術館を目指すM+

  香港のメディア「サウスチャイナ・モーニング・ポスト」によると、1998年に香港政府は西九文化区の構想を打ち出し、欧米の著名な美術館にコレクションや専門知識、国際的な知名度を備えた香港支部を開設してもらうことを計画していた。当初、香港政府はアメリカのグッゲンハイム美術館やフランスのポンピドゥー・センターと交渉し、文化区に映像、近現代美術、水墨画、デザインの4つの美術館群の建設を構想していた。

 香港に拠点を置くベテラン美術評論家、ジョン・バッテンは、2006年に国際美術評論家連盟(AICA)を代表して香港政府に提案書を提出。4つのテーマ別の美術館の構想を断念し、西九文化区管理局が資金を提供する現代文化の中核的な美術館を建設するように求めた。

 その結果、香港政府はM+をオープンさせることを決定。パリのポンピドゥー・センターを参考にしたこのアイデアは、アジアの独立した視点を持った、アート、映像、デザイン、建築を展示する現代美術館だった。

 コレクションの基礎となっているのは、上述の中国の現代美術を大量に収集しているスイス人のコレクター、ウリ・シグが2012年に寄付した約1510点の中国現代美術作品。加えて、同館は香港とその近隣地域に焦点を当てた作品も積極的に収集している。現在は約8000点の作品を収蔵しており、そのうち香港のアーティストによる作品は約4分の1を占めている。

ビクトリア・ハーバーから眺めた「M+」の外観 Photo: Virgile Simon Bertrand (C) Virgile Simon Bertrand Courtesy of Herzog & de Meuron

 そんなM+は、アジア初のヴィジュアル・カルチャーを中心にした美術館として、世界のトップ5に入ることを目標に掲げている。2016年にシグのコレクションを一般公開した際には、劉香成が撮影した1989年の天安門事件の写真など政治的な作品も含まれていたが、当時は作品への批判は見られなかった。

 西九文化区管理局の条例では、管理局は「芸術表現と創造性の自由を支持し、奨励しなければならない」と定めされており、香港政府指導者の指示が条例と全面的または部分的に矛盾している場合、同局はその指示に従う義務はないとされている。しかし現在、国家安全法に対する懸念や親中派の政治家の敵意により、同局は今後「芸術表現と創造性の自由」をどれだけ守れるのかという疑問が生じている。

論争の的となったウリ・シグのコレクション

  今回の論争の的となっているのは、シグのコレクションに含まれているアイ・ウェイウェイの写真シリーズ「Study of Perspective」のうち、北京の天安門広場に向けて中指を立てた一枚だ。1995年から2017年にかけて制作されたこのシリーズで、アイはホワイトハウス、エッフェル塔、ベルリンのライヒスタークなど、世界中の重要な施設やランドマーク、モニュメントに向かって中指を立てている。

アイ・ウェイウェイ Study of Perspective:Tian'anmen 1997 (C) Ai Weiwei

 西九文化区管理局の責任者であるタンはアイの作品について、「アイ・ウェイウェイの作品はすべて寄付によるもの。M+は、アイ・ウェイウェイの作品を購入したことはない」と弁解する。

 シグがM+に作品を寄贈する際、M+は1億7700万香港ドルをシグに支払っており(コレクションは当時13億香港ドルの価値があると推定)、コレクションは一部が寄付、一部が購入という形式でM+に収蔵された。

The Sigg Galleries Photo by Kevin Mak (C) Kevin Mak Courtesy of Herzog & de Meuron

 ニューヨーク・タイムズの報道によると、アイ・ウェイウェイは作品の収蔵に協力し、香港が世界的な芸術都市になることを目指していたという。アイは、「当時はとても前向きだった。自分の作品が、たくさんの中国人がいるところで展示されるなら、とても幸せだと感じていた」と語る。しかし、いまのような状況は想像していなかったようだ。

 シグは3月23日に西九文化区に送った声明文で、「現代美術は現実を批判し、傷口に指を入れることさえあるかもしれない。(中略)現代美術はあなたの良き友人ではない。この世界の現実に目を向け、その分析や批評に関心を持つことが求められている」としつつ、そのコレクションについて次のように記している。

 「私がつくろうとした百科事典的なコレクションとは何か? そのようなコレクションは、個人のコレクターが自分の好みに合わせて作品を探すような焦点では形成されていない。それは、ある機関が持つべきものであり、中国在住の現代的で実験的なアーティストたちの美術作品を時間軸に沿って、あらゆるメディアにわたって、すべて包括的に映し出そうとするものだ。私が興味を持ったのは、特定の時間における彼らの関心事と、この予測不可能な環境や完全に変化しつつある国家の雰囲気のなかでつくられた作品だった」。

より慎重になる作品選定

 今後の展示企画について、M+は「美術手帖」に対して次のような声明文を出している。「M+はグローバルな現代視覚文化ミュージアムです。その展示とコレクションは、研究と学術的な厳しさに基づいています。チームは、人種、肌の色、信条に関わらず、平等に尊重しながら、専門的、客観的、公平な態度で展覧会を企画しています」。

 「公的機関としてのM+は、強固なガバナンス構造と、既存ポリシーによって定められた手順を有しています。M+の買収方針は国際的な基準を満たしており、関連情報は立法評議会の文書に記載されています。美術品の価値は非常に主観的なものです。もっとも重要なことは、M+がつねに既存ポリシーで定めされた手順に従って事業を行っていることです」。

 また、M+は今年末の開館時に約8000点のコレクションのうち一部のみが展示され、すべての作品が常設展示されるわけではないと強調している。国家安全法に違反する疑いのある作品の扱いや、同法に違反するか否かの基準などの質問について、M+はコメントを避けた。

M+から眺めたThe South Roof Garden Photo: Virgile Simon Bertrand (C) Virgile Simon Bertrand Courtesy of Herzog & de Meuron

 同じく政府の背景を持っており、香港政府のレジャー文化サービス部門によって管理されている香港芸術館は同じ質問について、「展示作品の選定は、それぞれの展覧会の学芸員のテーマとの関連性、芸術的・歴史的なメリット、研究的価値、展示価値、希少性、真正性、耐久性、展示品の状態など、複数の要素に基づいて行われます。当館は、香港の法律を遵守しつつ、学芸員の独立性を発揮し、芸術表現の自由を尊重しています」とコメントした。

 そのほか、大館(タイクン)やPara Site芸術空間、アジア・アート・アーカイブなど香港の美術館やアートセンターの広報班にもコメントを求めたが、回答は得られなかった。

 大館の関係者は匿名を条件に、次のように語った。「とにかく文脈を無視して(当局に)通報する人が多いのはどうしようもない。それらのトピックとはまったく関係のないものを別のものとしてとらえ、国家安全法に違反すると言う人もいる。かつては展示してもいいだろうと考えていた作品でも、こうした文脈を無視してとらえる人との論争を巻き起こしたくないので、展示しないほうがいいと思うようになった」。

 また同関係者は、美術館の自己検閲は以前より慎重になっているとしている。「トラブルに巻き込まれたくない出資者もいるし、出資されなくなれば大変な状況になる。過去にはヌードに対する検閲もあったが、政治的な検閲は最近になってからだ」。

 政治的な関心は、従来から現代美術の主要なテーマのひとつだ。現代美術は、視覚的な美しさを持つだけでなく、同時代の社会的・政治的な側面も反映しており、さらには社会や政治を変える力にもなる。美術館はこのような作品を展示から取り下げると、鑑賞者のあいだに対話や議論をもたらす機会も失ってしまうだろう。

 シグの言葉を借りよう。「アートは、人々のコンフォートゾーンの外にある新しい空間や考えを示してくれるので、それに興味を持ち、好奇心を持っていなければなりません。このオープンさを身につけなければ、現代美術を理解することはできません」。