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2020.5.31

「ピカソの愛人」ドラ・マール。1冊のヴィンテージ手帳から見つかったその人生

フランスのジャーナリスト、ブリジット・バンケムンがeBayで購入した70ユーロのエルメスのヴィンテージ手帳のなかには、フランスの戦後芸術を牽引した中心人物たちの連絡先が羅列されていた。この出会いに運命を感じ、持ち主を探し出してその人物の人生を遡ったバンケムン。その顛末がまとめられた書籍の英語訳『Finding Dora Maar: An Artist, an Address Book, a Life』が刊行された。

文=國上直子

バンケムンが手に入れたエルメスの手帳 Photo by Roxane Lagache. Courtesy of Éditions Stock
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 フランスのジャーナリスト、ブリジット・バンケムンは、夫が紛失したエルメスの手帳の代わりになるものを探していた。昔のエルメスの皮にこだわる夫のために、彼女はeBayでヴィンテージのエルメスの手帳カバーを探し当て購入した。届いた品物を開けてみると、日記帳のリーフレットは取り除かれていたが、1951年度のアドレス帳がカバーに差し込まれたままになっていた。20ページほどのアドレス帳を何気なく開いてみるとそこには、コクトー、シャガール、ジャコメッティ、ラカン、バルテュス、ブレトン、ブラッサイなど、錚々たる人物たちの連絡先が並んでおり、バンケムンは驚愕した。

バンケムンが手に入れたエルメスの手帳 Photo by Roxane Lagache. Courtesy of Éditions Stock

 バンケムンは、この手帳が、当時フランスのカルチャーシーンの中核にいた人物の所有物だったとすぐに理解した。美容院やネイルサロンの電話番号が記載されていたため、女性と推測。さらに南フランス・メネルブの建築家の連絡先があったことから、この地域に住んでいたアーティストに絞り込んだ。この二つの条件から浮上したのが、「ピカソの愛人」として知られ、アーティストとしても長年活動したドラ・マールであった。そして彼女の筆跡が残る他の史料と照合し、この手帳がマールのもので間違いないことを確認した。

 マールは、1907年フランス生まれ。建築家だった父の仕事の都合で、幼少から十代の後半まで、アルゼンチンとフランスを行き来して過ごした。フランスに戻ってからは、写真を学び、商業写真家として成功を収めていた。初めての交際相手を介して、シュルレアリストのグループと親交を持つようになり、その後ジョルジュ・バタイユと交際。若くしてフランス知識層のインナーサークルに属していった。ピカソと出会ったのは1936年。それから1946年までピカソとの関係は続いた。モデルを務めたピカソの「泣く女」のイメージもあり、気性の激しい人物であったとする文献が多い。晩年までアーティストとして活動をしていたが、「ピカソの愛人」という昔の肩書がマールには生涯つきまとった。

ドラ・マール 1926年頃 撮影者不明 (C) 2020 Artists Rights Society(ARS), New York / ADAGP, Paris. Digital image
(C) CNAC/MNAM/Georges Meguerditchian/Dist. RMN-Grand Palais / Art Resource, NY