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2020.5.11

バンクシーはなぜ「医療従事者への感謝」を風刺画に仕立てたのか? パンデミックの表現とストリートの作法

バンクシーが5月7日に発表した新作《Game Changer》。看護師の人形を手にした子供を描いたこの作品は、新型コロナウイルスと闘うサウサンプトン病院で展示され、オークションにかけられることがわかっている。バンクシーがこの作品に込めた意図とはなんだったのか? バンクシーに詳しい鈴木沓子が読み解く。

文=鈴木沓子

バンクシー Game Changer 2020 出典=バンクシー公式サイトより
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 2020年5月7日、ロックダウン中のイギリスで、バンクシーが新作を発表した。

 新型コロナウイルスの現場で闘う医療従事者を讃える作品が、イギリス南部サウサンプトン総合病院に寄贈された......と報道されたが、これに違和感を感じた人は少なくなかったようだ。

 この日のSNSでは作品は「医療従事者への敬意」か「大衆やメディアへの皮肉」なのかと議論を呼んだ。一見わかりやすいようでわかりにくいこの絵画に対して「敬意と皮肉を両立させて、人々がどう受け取るかを見ているのは人が悪い」「風刺だとしたら伝わりにくいし意味がない」といった反応もあるなか、なぜこのような表現になったのか考えてみたい。

作品はどこに“投下(ボム)”されたのか

 作品を見ると、縦横約100センチほどの大きさに描かれているのは、つなぎのジーンズを着た子供が人形遊びをしている様子だ。手にしているのは看護師の人形で、床に置かれたゴミ箱にはバットマンとスパイダーマンの人形が無残にも投げ捨てられている。まるで彼らの時代は終わったと言うかのように。

 確かにスーパーマンのようなマントをなびかせる看護師の人形は「新しい時代のヒーロー」の象徴として描かれている。ただ、そのヒーローは商業用にグッズ化されて(バンクシーがもっとも忌み嫌っているやつだ)玩具になり、飽きやすい子供によって無邪気に消費されている、という構図がある。

 問題は、この作品がどこに投下(ボム)されたかという点だ。バンクシーの特徴であり優れている点は、常に作品の“キャンバス”になる場所を注意深く選び抜き、その場所の風景を借景して作品を完成させるサイトスペシフィックという手法にある。

 この作品が贈られたのは、イギリスで開発中のCOVID-19(新型コロナウイルスの感染症)向け治療薬の臨床試験がはじまったサウサンプトン総合病院だった。つまり作品は一緒に添えられた手紙にもあるように、コロナの最前線で闘う医療従事者の献身や努力に捧げた感謝の気持ちであることは間違いない。では、それはいつ投下されたのか。作品が公開されたのは5月7日で「世界赤十字デー」の前日だったことが、作品を読み解く鍵になる。

モノクロの中で唯一色付きで描かれた赤十字

  作品をよく見ると、看護師の胸には赤十字のマークが描かれている(*)。 

 ご存知の通り、赤十字は、戦争や天災などの非常時に傷病者の救護活動を行う「人道支援団体」の総称のこと。つまり国家危機の最前線で闘うヒーローが、ボランティア団体の白衣を着用させられているという風刺がある。とはいえ、バンクシーは赤十字の理念自体を批判しているわけではないことは確認しておきたい。世界赤十字デーにあたる5月8日には、医療従事者に称賛が集まることを予測したうえで「もし私たちが医療従事者の献身を無邪気に感謝するだけで満足すれば、彼らを使い捨てすることになる」とクギを刺しているのだ。それはイギリスの偉人で「看護の母」ナイチンゲールの言葉を引けば、「犠牲なき献身こそ真の奉仕」ということだろう。つまり看護や医療をプロの仕事として成立させることが福祉の根幹で、彼らの自己犠牲に頼る援助活動は、決して長続きしないとナイチンゲールが訴えてきたことでもある。

 バンクシーが作品と一緒に贈った手紙を見てみると「あなたたちの尽力に感謝します。モノクロの作品ではありますが、少しでも現場が明るくなることを願っています」としたためている。モノクロですみませんと断りを入れているが、唯一、看護師の胸の赤十字マークは赤色に塗られていて、鑑賞者の注意を集める仕掛けがある。ここで俎上に上げられるのは、毎年福祉の予算を削減して医療現場を圧迫してきた政権と、それを容認してきたメディアや大衆にある。つまりその矛先は、いまこの作品を鑑賞している私やあなた、政治家やメディアも例外ではなく、すべての人に向けられているのだ。

 なかでもひそかに槍玉に上げられているのは、おそらくボリス・ジョンソン英首相だろう。作品のタイトルは《ゲーム・チェンジャー(Game Changer)》。それは「革新的な人」という意味のほかに「ゲームの流れを一気に変えてしまうプレーや選手」という意味も併せ持つ。この人ほど、コロナ・パンデミックの前と後でその発言が変わった政治家もいない。自身もコロナに感染して入院、奇跡的に回復した後のスピーチでは、福祉の大切さを説いて内閣支持率を急増させているが、その真意はいかほどのものか、注視が必要だと市民に警鐘を鳴らしている。

 もちろん、こうした風刺や提言だけで終わらせないのがバンクシーだ。作品自体は寄贈した病院内で今年の秋まで展示し、その後はオークションに出品してNHS(国民医療サービス)に寄付をするという直接行動までを含めてひとつの作品に仕上げている。これはドイツの現代美術家ヨーゼフ・ボイスが提唱した社会彫刻を継承しているといえるだろう。バンクシーと言えば、あらかじめ絵柄を切り抜いた型板をつくり、その上からスプレー塗料を噴き付けるステンシル画が有名だが、この作品はめずらしく手描きを選んだことでも注目されていて、既に作品の落札予想価格は約6億5000万円に上るという見立ても出ている。

神格化と国策利用を嫌って偽名も使ったナイチンゲール 

 最後に「革新をもたらす人」という意味での「ゲーム・チェンジャー」、看護師の人形についても触れておきたい。人形の手足の肌の色が濃いことから、NHSの現場で働くエスニックマイノリティを投影していると思うが、髪型は若き日のナイチンゲールを想起させた。

フローレンス・ナイチンゲール 出典=ウィキメディア・コモンズ (H. Lenthall, London - このファイルは以下の画像から切り出されたものです: Florence Nightingale three quarter length.jpgheritage auctions, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=9826164による)

 ナイチンゲールはクリミア戦争の前線で従軍看護師としてつとめた後、兵士の死因が感染症だったことをつきとめ、残りの生涯を公衆衛生改革に捧げた人だ。現在のコロナ対策の基盤を築いたのも彼女の研究による功績が大きい。「ランプを持った貴婦人」「白衣の天使」と呼ばれ国民的英雄として讃えられたが、ナイチンゲールは自分のイメージを神格化して、戦争の広告塔や国策推進のために都合よく利用する風潮を嫌い、時には偽名を使っていたとも言われている。

 5月12日はナイチンゲールの誕生日にちなんだ国際看護師の日で、今年はナイチンゲール生誕200年目にあたる記念年でもある。もしバンクシーの作品をきっかけに、福祉のあり方を考え、それぞれの場所から動きはじめる人が出てきたらなら、その人自身も「ゲーム・チェンジャー」のひとりだと言われている気がしてならない。